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「聞いて頂く」から始めよう

【「聞く力」という本を出版致しました! よろしければどうぞ!】

「聞いてもらう」からはじめよう

 一般的に、「聞く」は声が耳に入ってくること、「聴く」は声に耳を傾けることを指す。
 心理士の著者が定義するなら、「聞く」は相手の語りを言葉通りに受け止めること、「聴く」は相手の語りの裏にある気持ちに触れることだ。

「聞く」のほうが「聴く」よりもはるかに難しい

 「聞く」と「聴く」のどちらがより難しいか。
 著者は「聴く」のほうがレベルも難易度も高いと思っていたが、実際は「聞く」のほうが「聴く」よりもはるかに難しい。

「ちゃんと聞いて」の内実

 「なんでちゃんとキいてくれないの?」と言われるとき、求められているのは「聴く」ではなく「聞く」である。「聞く」は相手の語りを言葉通りに受け止めることである。
 心の奥底にある気持ちを知ってほしいのではなく、言っていること、言葉にしていることを受け止めてほしい。
 それが「ちゃんと聞いて」の内実である。

心が挟まり、耳が塞がれて、聞けなくなってしまう

 「聞く」ことができないとき、僕たちに何が起こっているのか。
 決して「聞く必要はない」「聞かない」と思っているわけではない。
 「聞かなきゃいけない」「聞こう」という気持ちはあるはずだ。
 それなのに、心が挟まり、耳が塞がれて、聞けなくなってしまう。

 貴方が話を聞けないのは、話を聞いてもらっていないからだ

 「何で誰もあたしのこと聞いてくれないの?」
 「誰だって聞いてくれないじゃん」

  貴方が話を聞けないのは、話を聞いてもらっていないからです。
心が追い詰められ、脅(おびや)かされているとき、人の話を聞くことは出来ません。
 誰かのストーリーを受け止めるスペースが心の中に生まれるのは、自分自身の話を聞いてもらえたときだ。

「聞く」を回復するために、まずは「聞いてもらう」から始めよう

 伝えたいことがあるのに聞いてもらえないとき、「聞く」の問題が立ち上がる。
 いくら言葉をソフトにしても、ロジカルに話しても、エビデンスを示しても、相手は全然わかってくれない。

 この時、問題は言葉の中身ではなく、2人の関係性にある。
 2人の間に不信感が横たわっているから、何を言っても聞いてもらえないのです。

普段の「聞く」は、呼吸のように自然に、かつ円滑に行なわれている

 逆に考えると、2人の関係性が良好である限り、普段の僕らはそれなりに聞けている。
 「郵便局行ってくるね」といわれたら「行ってらっしゃい」と応じる。
 「ちょっと疲れてるんだ」といわれたら「早めに寝なよ、食器洗っておくから」と返す。
  普段の「聞く」は、呼吸のように自然に、かつ円滑に行なわれているのである。

「聞く」は失敗して初めて意識される

 精神分析家で小児科医だったウィニコットは、「対象としての母親」と「環境としての母親」というアイディアを提唱した。
 「対象としての母親」は、あなたがいま心に思い浮かべている母親の姿である。
 母親はこういう人とか、こんな思い出があったとか、一人の人としての母親だ。

「環境としての母親」は、貴方に意識されない母親のこと

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