フィリピン臓器売買のインタビュー
20 ~ 30 代の臓器売買を行った男性 25 人へのインタビューを行った
筆者は何故かフィリピンに着いて 2 週間でフィリピンのバスコというフィリピン・ マニラ湾の波止場にあるスラム街で、 20 ~ 30 代の臓器売買を行った男性 25 人へのインタビューを行った福島民友新聞記者の藍原寛子さん のお手伝いをすることになっ た。
何故私がこのような機会に巡り会えたかと言うと、私のホームステイ先のルームメイトが記者とお知り合いで、「取材を手伝って欲しい」と頼まれたからだ。 そして 2009 年 5 月 29 ~ 30 日、記者の協力の下、フィリピン人 2 人、藍原記者と筆者はフィリピンのバスコのあるお宅をお借りして、インタビューを敢行した。
バセコという地は日本の NGO「 habitat 」や、韓国の NGO 等の援助により、新し い建物が次々と建てられた
バセコという地は日本の NGO「 habitat 」や、韓国の NGO 等の援助により、新し い建物が次々と建てられており、「以前より復興した」とフィリピン人に言われたが、道路はぐちゃぐちゃで、「こんな所に人は住めるのか」というのが正直な感想であった。
この調査から、バセコに住むフィリピン人達が何故臓器を売るのか、どのようにして 臓器を売るのか、等について理解することが出来た。
2007 年 2 月 、フィリピンの臓器売買に変革が起きた。フィリピン政府が臓器売買を 公認したのである。これは「腎臓移植を希望する外国人患者に対し、一定の条件を満 たせば腎臓提供を認める」という新制度を導入するものだ。フィリピン政府自体は闇 取引対策で年内導入を目指すとされている。外国人を対象とした政府公認の臓器売買 は世界にも類例がなく、実際に制度が施行され、実施にいたれば移植待機者が日本だけ で も 1万 人 以 上 を 越 す 結 果 と な る 。
現待機者数は心臓 993 人、廃 127 人、肝臓 140 人、腎臓 111,915 人、膵臓 114人、小腸 2人である。腎 臓移 植を希望する患 者数 は群 を抜いて多い。また現 在 人工透 析を行っている患 者は 2 0 万人と言われている。 これだけ多くの方が透析を続けていて、なおかつその3 分 の 1 、 お よ そ 7 万 人 の 方 が 腎 臓 移 植 を 希 望 し て い る 。
新しい生体腎移植制度案は、外国人患者に( 1)腎臓提供者( ドナー )への生活支援 費( 2)別のフィリピン人患者 1 人分の移植手術代を支払わせるものとなっている。ド ナー生活支援費などが 1 万 2000 ドル ( 約 144 万円 )、フィリピン人患者の移植代が円 換算で 96 万 ~ 120 万円相当とされ、外国人患者の手術・入院代とあわせ、外国人患者 は総額 5 万ドル ( 約 600 万円 ) を支払うことになる。
仕組み全体は政府が管理し、ドナーは民間のドナー支援団体「腎臓財団」を通じて 生活支援を受ける
仕組み全体は政府が管理し、ドナーは民間のドナー支援団体「腎臓財団」を通じて 生活支援を受ける。今までは移植費用が日本で受けられれば心臓でおよそ 1100 万円、 肝臓で 800 万円と言われているのに対し、海外渡航では心臓でおよそ 3300 万円、肝 臓で 3200 万円 、腎臓で 1600 万円( 日本移植学会試算 )と、経済的にもかなりの負 担であった。この 経 済的な負担の軽減 が 日本人 患者 の増加 に 繋が ると 見 られ る 。 この腎臓売買が公認されれば、他の臓器の売買も公認される日が近づくことになるだろう。これは臓器移植を待ち望んだ患者にとっては朗報ではあるが、臓器の闇取引 が本当に無くなるかということに対する問題点は依然として残っている。
フィリピンでは受刑者がドナーとなるケースが
フィリピンでは受刑者がドナー ( 臓器提供者 ) となるケースがあり、 1975 年以降1993 年までに 51 名の受刑者がドナーとなって意る。日本人も 2 人がレシピエント( 臓 器受容者) となっている。ドナーとなる受刑者の多くは死刑囚で、当初は減刑や釈放 を期待しての無償の臓器提供だったが、その後謝礼が渡されるケースが現れ、 1985年 頃 に は 事 前 の 交 渉 - 倍 買 へ と 変 化 し た 。
フィリピンでの臓器売買について認識はこのようなものである。臓器売買は合法 化され、死刑囚からの臓器売買も行われており、特に政府は反対していないようだ。