YMOよ永遠なれ
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YMOの歴史
YMOが結成されたのは1978年2月です。
東京芸術大学修士課程を修了し、ミュージシャン、アレンジャーとして音楽業界に知られるようになっていたキーボードの坂本龍一、サディスティック・ミカ・バンドで海外遠征も経験していたドラムの高橋幸宏。
そしてリーダーでありベースの細野晴臣は、伝説のバンド“はっぴいえんど”以降、ミュージシャン、作曲家、プロデューサーとして日本のロックとポップスの歴史を作り上げてきたアーティストです。
日本から世界的なヒットとなる新しい時代の音楽を発信する
コンピューター、シンセサイザーといった最新のテクノロジーを使って、さまざまなジャンルの音楽を当時の世界の音楽の共通言語であるディスコというフィルターを通し、日本から世界的なヒットとなる新しい時代の音楽を発信する。それが結成当初のYMOの目標でした。
また、初期YMOの音楽はディスコを強く意識していたほか、3人のバック・グラウンドにスライ&ザ・ファミリー・ストーンなどのファンク・ミュージックがあったなど、ダンス・ミュージックとしても一級品となっていきました。
彼らの音楽は次第に国内外で注目を集めるようになる
YMOが78年12月に発表したデビュー・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』は当初はそれほどの話題にならなかったものの、やがて海外でのリリースも決定します。
欧米のリスナーにも国境を感じさせないインスト主体で、踊れてなおかつ最新のテクノロジーで、彼らの音楽は次第に国内外で注目を集めるようになります。
https://youtu.be/nB5g2cUM2FQ?si=H77PtWT-Oh3yoAM8
「テクノポリス」の大ヒット
海外公演中の10月に発売された日本でのファースト・シングル「テクノポリス」も大ヒット。『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』の売れ行きも好調で、海外ツアー中にYMOはいつのまにか日本で大スターになっていたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=28f6znYxFfM
そして秋、YMOは解散(散開と表現された)宣言。武道館公演を含む日本ツアーと解散を記念したアルバム『サーヴィス』リリースのあと、YMOは伝説となって10年後の復活まで眠りにつくことになりました。
新しいアーティストへの系譜
長谷川白紙さんがYMOの「キュー」をカバーしております。
是非原曲と比較してみてください。長谷川さんの方がより柔らかい印象になった曲になっています。春っぽいです。
https://youtu.be/3yQRDfWib3I?si=73GkckPFPgK22HvJ
細野晴臣さんが星野源さんに「歌う」よう薦めなかったら、「SUN」も「恋」もなかった
意外と皆様ご存じないと思いますが、星野さんは「SAKEROCK」というインストゥルメンタルバンドを主宰しておりましたので、歌を歌い始めたのは30歳の時、細野晴臣さんの勧めだったのです。
細野晴臣さんが星野源さんに「歌う」よう薦めなかったら、「SUN」も「恋」もなかったのです。
メジャーデビューは2010年、6月に1stアルバム『ばかのうた』をビクターエンタテインメント内の細野晴臣主宰レーベル「デイジーワールド」から発売しました。CDショップ大賞第3回入選されました。
細野晴臣さん、星野さんに歌を薦めてくださってありがとうございます!
「バイト」という曲か鑑みる「地獄」
この時は星野さんは2nd album「エピソード」の中の「バイト」という曲で、「殺してやりたい 人はいるけれど君だって同じだろ 嘘つくなよ 長生きしてほしい 人もいるんだよ」という今と全く違った曲をアコギで歌っています。働くことは地獄だから仕方ないですね。
https://youtu.be/KZ7AWfOj2P8?si=y14uL-wskWGJljYf
細野晴臣さんは多くの方に曲を多数提供し、カバーアルバムを制作
中森明菜さんや松田聖子さんなど有名なアーティストに曲を提供しました。
細野さんはYMO時代からの多忙に加えて、日本のバブル崩壊以前の消費社会に幻滅し、1980年代後期にはワールド・ミュージック、1990年代にはアンビエント・ミュージックに深くアプローチし、大量消費されない音楽を模索しました。
また、カバーアルバム「Hevernly Music」の中の「The House of Blue Lights」(原曲は1946年にFreddie Slack with Ella Mae Morseがリリースした同名曲)では、華麗にステップを踏んでいる細野晴臣さんを拝見することが出来ます。そして何て良い声なんだろう。
https://youtu.be/qeHTFlkBBcM?si=51EpjB_wzzO4F2gZ
YMOよ永遠なれ
1970年代終りから1980年代初めの初期YMOの活動は、そのまま実験と冒険の歴史でした。最新のテクノロジーと高い音楽性の融合。
この実験の姿勢はYMO解散後のメンバーたちのソロ活動、さらには再結成した新たなYMOの活動にも受け継がれています。
また、新しいアーティストにも多大な影響を与えています。
そしてYMOは永遠に人々に受け継がれていくのです。
【参考】ソニー「YMOヒストリー」
https://www.sony.jp/music-unlimited/special/ymo/introduction/