世界で最も好きな2曲-チャイコフスキー交響曲第6番とラフマニノフピアノ協奏曲第2番-
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世界で最も好きな2曲
世界で最も好きな2曲は交響曲第6番 (チャイコフスキー)とピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)です。
https://www.youtube.com/watch?v=-QQ5TCNzbcI
交響曲第6番 (チャイコフスキー)
ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)
交響曲第6番 (チャイコフスキー)はチャイコフスキー自身の人生を表している
チャイコフスキーが本作の初演後、従姉妹のアンナ・ペトローヴナ・メルクリングを家まで送る道中、アンナ・ペトローヴナに対して「新作の交響曲が何を表現しているか分かったか」と尋ね、彼女が「あなたは自分の人生を描いたのではないか」と答えたところ「図星だよ」と言ってチャイコフスキーは喜んだと記しています。
チャイコフスキーはアンナ・ペトローヴナに対して「第1楽章は幼年時代と音楽への漠然とした欲求、第2楽章は青春時代と上流社会の楽しい生活、第3楽章は生活との闘いと名声の獲得、最終楽章は〈De profundis(深淵より)〉さ。
人はこれで全てを終える。でも僕にとってはこれはまだ先のことだ。僕は身のうちに多くのエネルギー、多くの創造力を感じている。(中略)僕にはもっと良いものを創造できるのがわかる」と話したと述懐しています。
しかし初演のわずか9日後、チャイコフスキーはコレラ及び肺水腫が原因で急死し、この曲は彼の最後の大作となりました。
確かに「躁鬱」っぽい
確かに第1楽章から2,3楽章になるについて、どんどんテンポが上がって、第4楽章で一気にテンポが下がります。
まさに「生」と「死」という感じです。
第3楽章は「躁」という感じで、第4楽章は「チャイコフスキーが自身の『死』を予感していたような気」も致します。
9:10からが世界一カッコいい
第1楽章の陰鬱さ、前半の静かなところは提示部でpppppp(ピアノ6つ!)から急にffになる個所が展開部の始まりです。
全世界の曲の中で9:10からが世界一カッコいいです。
第2楽章はワルツ
複合3部形式です。5/4拍子という変則的な拍子であり、ワルツに聴こえます。実際にスラヴ系に良くみられる拍子のワルツです。
名演はカラヤン指揮
名演は1973年11月25日 ベルリンフィルハーモニーホール ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団が行ったものとしています。
第3楽章はallegro molto vivace
チャイコフスキーコントバスのこと好き?
何とこの曲チャイコフスキーの「E」(ミ)で始まり、「E」(ミ)で終わるし、終始休む間もない。上の映像からもそうですが、本当にページめくる暇がない。
他の曲なんて、「最後の2小節」のみの吹奏楽の曲とかよくあったのですが。
コントラバスの出番が少ないと思ったらオーケストラ部に入る
中学で吹奏楽部でコントラバスの出番が少ないと思ったら、高校で強豪のオーケストラ部に入るのは割とおススメです。
作者は高校でコントバスのみでも9人いる強豪高校に入ってしまったのです。
チャイコフスキーはコントバスのことが好きとしか思えないくらい、名フレーズばかりです。
交響曲第5番のほうがコントラバスが難しい
ちなみに個人的に交響曲第5番はコントラバス方が難しく感じます。
チャイコフスキーの円熟期にあたる1888年の作品であり、交響曲第4番ヘ短調作品36とは作曲時期に10年の隔たりがあります。
交響曲第5番は6番より展開が広くなくて、非常に捉えにくい感じを演奏していた当時は感じました。
ラフマニノフを「作曲家」へと駆り立てたチャイコフスキーの存在
ここまでラフマニノフは優れたピアノ奏者として育ってきた。ズヴェーレフ先生からも将来有望な演奏家になるだろうと、特に目を賭けられていたと言われている。
しかし、ある時からラフマニノフは「作曲家」という道を考えるようになった。モスクワ音楽院在学中は、アントン・アレンスキーの教室で作曲を学んだと記録にあります。
卒業の課題として取り組んだ1幕ものの新作オペラとして、ラフマニノフは、プーシキン原作による『ジプシー』を題材にした歌劇《アレコ》を作曲した。
ラフマニノフを作曲家へと駆り立てたものとは、一体何だったのだろでしょうか。
その直接的な影響は、ラフマニノフが学び卒業したモスクワ音楽院で、かつて教授を務めていたチャイコフスキーの存在が大きいと言われています。
同じロシア出身だったのも大きいのではないかと思います。
ラフマニノフは、モスクワ音楽院在学中に多くのチャイコフスキーの音楽に触れました。
そのうちの何曲かを編曲してみるなどして、チャイコフスキーの作曲技法を自ら積極的に学ぼうとした形跡があります。
ピアノ協奏曲第2番は『ガチうつ秒寛解曲』
ラフマニノフの《交響曲第1番》は、今でこそ重要な業績と看做されているが、1897年の初演時には批評家の酷評に遭いました。
私生活における問題も相俟って、ラフマニノフは鬱傾向と自信喪失に陥り、創作不能の状態となります。
1899年にロンドン・フィルハーモニック協会の招きでイギリスに渡ったラフマニノフは、ここでピアノ協奏曲の作曲依頼を受け創作を開始するが、再び強度の精神衰弱に襲われます。
所謂「うつ病」状態だったと言われています。
ニコライ・ダーリ博士の催眠療法を受け始めると快方に向かう
しかし、1900年に友人のすすめでニコライ・ダーリ博士の催眠療法を受け始めると快方に向かい、同年夏には第2、第3楽章をほぼ完成させました。
最大の難関として立ちはだかった第1楽章も同年12月頃に書き始め、1901年春には全曲を完成させました。
初演は大成功に終わり、その後も広く演奏されて圧倒的な人気を得ました。
ピアノ協奏曲第2番第4楽章は本当に徐々に「うつ秒寛解」の兆しが見られる
本作品の成功は、ラフマニノフがそれまでの数年間にわたるうつ病とスランプを抜け出す糸口となりました
作品は、ラフマニノフの自信回復のためにあらゆる手を尽くしたニコライ・ダーリ博士に献呈されたそうです。
第1-3楽章は陰鬱な感じですが、ピアノ協奏曲第2番第4楽章は本当に徐々に「うつ秒寛解」の兆しが見られます。
最後は本当に「人生の大団円!」という感じで「良かった、良かった」というクライマックスです。
同時に「うつ病は、もういい」という決意も私は感じ取られます。
うつ病の方は是非聴いて頂き、実際に第4楽章は励まされます。
交響曲第6番 (チャイコフスキー)よりは、この曲のような感じの人生を目指して頂ければ幸いです。
このような感じで曲の紹介を行います
このようなな感じで「私の人生を変えた」曲を紹介していきます!
皆様の人生にとって大切な曲はどの曲でしょうか。