見出し画像

乳がんになった35歳女性②

 針生検(細胞の一部ではなく、組織の一部を採取し、調べる組織診(生検)の一種)から2週間。

 ついに結果を聞く日が来た。

「それでも生きていく」という本を出版致しました! よろしければどうぞ!

現実に自分は向き合えるだろうか

 もしかしたら良性かもしれないという期待がどうしても拭えないが、悪性だった場合、果たして自分は正気でいられるだろうか。
 ステージが思ったよりも進んでいた場合、あと何年生きられるのだろうか。
 右胸は全摘だろうか。
 抗がん剤はやるのだろうか。
 現実に自分は向き合えるだろうか。

 不安な気持ちで診察室に入ると、先生の表情に陰りを感じたため、これから何を言われるのか察した。

 予想通り、乳がんだと告げられた。
 そしてホルモン受容体が陽性、HER2(ハーツー)陰性のルミナルBタイプであること、グレード3で悪性度が高いこと、Ki-67(キーロクジュウナナ)の数値も高値で増殖スピードが早いことなどの説明を受けた。
 腫瘍の直径は最大の部分で2.5cm、現状は腋窩リンパ転移が見られないため「ステージ IIa」という診断だった。

乳がんは0期~4期のステージに分類される

 乳がんは、がんの大きさや広がりなどにもとづく進行の度合いによって、0期~4期のステージに分類されます。

 0~3期までは、乳房の部分切除術や、乳房全体を切除する全摘術による治療が可能です。
 乳がんの進行状態によって、最初に薬物療法を行い、がんを小さくしてから手術をしたり(術前薬物療法)、手術後の再発予防のために放射線治療や薬物療法を行うこともあります。

サブタイプは採取した組織を検査して明らかになる

 では、乳がんの「サブタイプ」は、どのようにわけるのでしょうか。
 乳がんの疑いで受診された場合、まず、局所麻酔をして腫瘍に針を刺して組織を採取します(針生検)。
 採取した組織を調べて(病理組織検査)、その腫瘍ががんであることを確認するのと同時に、サブタイプも検査します。この時点で、乳がんのサブタイプがわかります。

 乳がんには大きく分けて3つのサブタイプがある。
 ひとつは私が罹患しているルミナルタイプで、いわゆる女性ホルモン由来の乳がんだ。悪性度に応じてルミナルA、Bの2種類に分けられる。
 もうひとつはHER2が陽性のタイプ。
 そしてもうひとつはホルモンもHER2も陰性のトリプルネガティブ。

【出所】がんプラス『乳がんのサブタイプで異なる薬物療法 ホルモン療法、抗HER2療法、抗がん剤 自分に合った治療が大切』
https://cancer.qlife.jp/breast/breast_feature/article2222.html

手術で腫瘍を取ったあと、腫瘍全体を検査して初めて正確な情報を把握することができる

 Ki-67の数値は腫瘍の増殖スピードを示します。
 これらの情報は針生検によって調べることができるが、針生検ではあくまで腫瘍の一部のみの採取となるため、腫瘍全体を見る術後の病理検査とは結果が異なることもあるらしい。
 つまり手術で腫瘍を取ったあと、腫瘍全体を検査して初めて正確な情報を把握することができるのだ。

 私のがん細胞は悪性度も増殖スピードも高いため、1年前の検診は見落としではなく、この1年で一気に大きくなったのことだった。

 S先生はまず右乳房の全摘手術を受け、そのあと抗がん剤をやってからホルモン療法をやる流れを提案してきた。
 抗がん剤をやる必要があるかどうかは微妙なところだが、悪性度や増殖スピードが高いこと、それからまだ年齢が若いことを考えるとやっておいたほうがいいだろうとのことだった。

胸を全摘することは女性にとって非常に大きな決断

 胸を全摘することは女性にとって非常に大きな決断となり、精神的になかなか乗り越えられない人が多いことを話してくれた。
 私も勿論そんなに簡単に受け入れられないし、できれば避けたいと思っているのも事実だが、治療のために必要であるならば受け入れるしかない、命に代えられないと話した。
 そんな強がりを言ったけど、ここにくるまでの2週間、どれだけ涙を流したか分からない。

帰り道、不思議とスッキリした気分だった

 そしてCT検査とMRI検査の予約をし、病院をあとにした。
 帰り道、不思議とスッキリした気分だった。
 初めて病院を受診し、悪性の疑いがあると言われた日は過呼吸一歩手前で涙を流しながら帰ったというのに、がんが確定したこの日はなんだか清々しい気分ですらあった。
 病理検査の結果を聞くまでの2週間の地獄が嘘のようだ。

出来ることをやるしかない

 確定してしまったからには、向き合っていくしかない。
 出来ることをやるしかない。
 何を言っても乳がんになった事実は変えられない。
 でも乳がんなんて克服できるのではないか?
 そんな前向きな気持ちで満ちていた。

電車の帰りにYouTubeで椎名林檎の『人生は夢だらけ』を聴いた

 電車の帰りにYouTubeで椎名林檎の『人生は夢だらけ』を聴いた。
『大人になってまで胸を焦がして
時めいたり傷付いたり慌ててばっかり』

何故自分が……って思わなくもない。
現実を受け入れているわけじゃない。
それでも、できることをやるしかない。

『ずっと自然に年を取りたいです
そう貴方のように居たいです富士山』

 どんどん曲を聴いて涙が溢れてしまいそうだったから、誰もいない端の席のポールに寄り掛かって、ティッシュを出して泣いていた。

『それは人生 私の人生 誰の物でもない
奪われるものか 私は自由
この人生は夢だらけ』