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男性も女性も自立し、自由に結婚したり別れたりするような社会が到来したのか
今までのあらすじ
古代社会では男女関係は、現代に近い自由なものでした。
古代末期から中世にかけて、「家父長制度」が登場し、女性には厳しい制度となったのです。
明治時代、家父長制度は一層厳格化した
明治時代、家父長制度は一層厳格化した。明治民法が規定した家父長制には、多くの権限が家長(基本的に「父」)に与えられていました。
例えば、家長は、「戸主権」と呼ばれる、家族の行動についての決定権も広く持っていた。子どもの結婚は、家長の同意なくしては出来ません。
家族がどこに住むのかも、家長の命令の範囲内で決定されました。
「家」から離れる一般的な手段は起業か就職
家父長制度から自由になるためには、家長が握っている経済力から自立しなければならなかったのです。
「家」から離れる一般的な手段は、自分で商売を始めるか、或いは会社に雇ってもらうことでした。
明治時代は工業化を進めていた
明治政府はこの時期、経済の近代化といえる工業化を進めていました。
やがて工業が重工業化し、商業や金融業にもその動きが拡大していきました。
人々は会社に雇われて自分の稼ぎを得ることで、親からの経済的自立を獲得していきました。
工業化で「家父長制度」がなくなる
雇用されるという働き方が都市部に浸透するにつれて、家父長制度はその根底を掘り崩されていったのです。
性別分業が進んだ理由
誰と結婚するかは自分で決めたいという男性が都市部で増えました。
しかし、女性については事情が異なっていました。
職業女性は基本的に未婚女性であり、結婚と同時に退職するケースが大半でした。
経済の近代化に伴う「家からの個人の離脱」
経済の近代化に伴う「家からの個人の離脱」。
これは、離脱した先の家族生活において、性別分業や男性支配を伴うものでした。そして「女性の非労働力化」が進みました。
女性は、欧米主要国では1960年代雇用労働の世界に進出
女性は、欧米主要国では1960年代、日本でも1980年代ころから徐々にしていきました。
結婚後も継続して働き続けるようになりました。