「不要な人間関係」は捨てる
『自分と他人を許す心理学』という本からです! よろしければどうぞ!
「多様性」の言葉で片付けられない超えてはいけない「常識のライン」は絶対ある
「多様性」の言葉で片付けられない超えていけない「常識のライン」は絶対ある。
いや「お前人のこと言えないだろ」と言われるのは勿論理解している。
しかし、所謂健常者から受けた「考えられない行為や言動」は果たして万で数えられるのだろうか。
私が与えたこともあるだろうし、人によって「嫌に思う基準」はそれぞれ違うからこの問題は一生解決しないから、諦めて生産的な活動をする。
大したことではないけど超ムカつくことってあるよね、という話
まあ、大したことではないけど超ムカつくことってあるよね、という話である。
よほど情緒的に成熟した人でない限り、普通の人は常に平静に心を保とうとしても、なかなか保てるものではない。
こちらが好意でしたことを、当たり前のこととして扱われるとだれでも不愉快である。それが小さな好意であっても不愉快である。
そういうときに、普通の人は不愉快になる。そして、ついついその人に自分の意識が捉われてしまう。
その不愉快な方に良く思われたい気持ちを捨てよう
対処の方法として望ましいのは、その「不愉快な方」に良く思われたい気持ちを捨てることである。
何故なら「不愉快な方」というのは死ぬまで「不愉快な方」だからだ。
まとめ 「あの人はもういい」と心の中で「捨てる」
『うつ病になりやすい人は、「捨てる」ということがなかなかできない。「あの人はもういい」と心の中で「捨てる」、これがエネルギッシュに生き生き延びるためには、どうしても身につけなければならないことなのである。』
【引用元】加藤諦三. だれとも打ち解けられない人(2010). (Kindleの位置No.1036).PHP研究所
大丈夫、貴方を好きな方は数倍いるので。まあそんなにいなくても生きていけるので。