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凡人様

『ファッション奇抜ね天才(天才)
突飛な発言天才(天才)
一匹狼天才(天才)
ENTP 天才ぽいね』


【歌詞引用】紫今『凡人様』

天才の定義は曖昧

 天才と凡才の定義は曖昧である。
 ADHD、天才?
 何が『天才』なの?

凡人が崇め奉られる世界があるべき

 私は『何故『自称ギフテッド』は生まれるのか』という記事(5,851文字)と『「普通の方」が「天才」を自称することについて』(4,151文字)という記事を書いてどちらも1,000pv近く読まれた。

「才能」があるなら「世の中」に成果を発揮してこそ初めて「天才」或いは「ギフテッド」

 その記事両方のシメは両方『「才能」があるなら「世の中」に成果を発揮してこそ初めて「天才」或いは「ギフテッド」です。
 そうでないなら「ギフテッド」ではありません。自称もして頂きたくないです。』である。

 これからも提唱していきたいことである。

『天才』、『ギフテッド』という言葉の重み

 最天才は自分を天才とは滅多に仰いません。
 何故なら天才と自称する以上は何らかの圧倒的な実績を持っていないと釣り合わないからです。

 落合陽一さんは自分を天才だと呼称したことがないし、自分でも恐らく思っていなく、毎日ただ目の前のことをやっているだけです。

『天から授かりし凡才
崇め奉まつれよ』

【歌詞引用】紫今『凡人様』

思った以上に周囲は自分の能力や真価を見に来てはくれない

 思った以上に周囲は自分の能力や真価を見に来ては頂けません。
 「自分のことを周りが悟っている、察してくれると過度に思い込む傾向」を社会心理学で『透明性錯覚』と呼びます。
 良い評価者(上司等)なら同じように部下の強みや伸びしろを探してくれるかもしれませんが、そうでもない、或いはそんな余裕がない人、鑑識眼のない人が評価者だとしたら、「自分は天才なんだから大目に見てくれよ」は通用しません。

「当たり前」をクリアしてからやっと「天才性」を評価して頂ける

 そういう評価者は、一目で分かる指標でしか人を見てくれない可能性の方が高いです。
 そしてその「一目で分かる指標」とは何かというと、「遅刻・欠席をしない」だとか「会ったらまず挨拶する」だとか、「納期・期限を守る」だとかそういうものになります。
 天才性はそこをクリアしてやっと見つけてもらえる「かもしれない」なのです。
【参考】阿部慶賀『自称「天才」につきつける現実と処世術』
https://note.com/bay_young/n/n3efa11eab259

もっと普通を褒め称えたいし、普通力を養いたい

 もっと普通を褒め称えたいし、普通力を養いたいです。
 「自称ギフテッド」や「自称天才」の100倍以上価値があると思います。

『凡才様 量産型
平凡だな 最高だな』

【歌詞引用】紫今『凡人様』