死は何故悪いのか
そもそも死は悪いのか
確かに私たちは死んだら存在しなくなる。そしてそれが悪いのは自明のように思える。
だが「自分が存在しない」という状態が、自分にとって悪いことであるはずがない。自分が存在していないのなら、それが悪いことなのかも判断できないからだ。
「死」を悪いとする3パターンがある
この疑問に対する回答は、「悪い」と判断される際の3パターンを整理すれば見つかる。
第1のパターンは本質的な意味での悪さ(痛さ)
第1のパターンは本質的な意味での悪さだ。たとえば痛みは私たちにとって直接的に悪いことである。
痛みは悪であり、だから私たちはそれを避けたいと思う。
第2のパターンは間接的な悪さ
第2のパターンは間接的な悪さである。それ自体は悪くなくても、本質的に悪いことにつながりかねないという場合だ。
職を失うことは、本質的には悪いことではないかもしれない。だが間接的には悪いことである。
貧困や借金になる可能性が高まるし、そうなれば痛みや苦しみなど本質的に悪いものを呼び込んでしまう。
第3のパターンは相対的な悪さ
第3のパターンは相対的な悪さである。
本質的に悪いわけではないし、間接的に悪いわけでもない。
しかしそうする間にもっと良いものを手に入れ損ねていれば、それは悪いということになる。
死ぬのがいけないのは、人生において良いことの起きる可能性が「剥奪」されてしまうから
このうち3つ目のケースは見逃されがちだが、死がなぜ悪いのかをうまく説明している。
死ぬのがいけないのは、人生において良いことの起きる可能性が「剥奪」されてしまうからというわけだ。
こうした考えを「剥奪説」と呼ぶ。
剥奪説に対してはいくつか異論もあるが、それでも総合的に考えると、剥奪説こそが妥当であるように思われる。
まとめ 死を悪と見なすうえでもっとも肝心な理由は、「死んだら人生における良いことをまったく享受できなくなるから」
死を悪と見なすうえでもっとも肝心な理由は、「死んだら人生における良いことをまったく享受できなくなるから」なのだ。
では不死は悪くないのか。次節では「不死はなぜ悪いのか」について説明していく。
【参考】シェリー・ケーガン・柴田裕之(訳)(2018).『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』(Kindle版)文響社 pp.125-129