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急性骨髄性白血病②

でも、でも私は。

手術後病室で私は和也にこう言った。「ねえ、和也」「なあに?」和也は優しく微笑んで渇いたタオルを病室の棚にしまう。「私、完全に治っても、赤ちゃん出来なくなったんだって」「…優美がいればそれでいいじゃない」「…私といて和也に何のメリットもないじゃない!」もう泣いていた。私はこの1年間、何回泣いたんだろう。でもそれと同時に、自分を支えてくれる人のありがたみが、ほんとうに、分かった。一人で動けない、思うように動けない。一緒に歩いてくれた両親や和也。病室が一緒だった人が症状が重くなって別の病室に運ばれ、そして明日は我が身だと思うと不安で夜も眠れない日々、ごはんが食べれた日の嬉しさ、病院から自宅に戻った時の喜び。

でも、もう、嫌だ。好きな人の人生も同時に狂わせる。それ位だったら死んだ方がマシ。そう泣きじゃくった私を、和也はいつも「そんな事言うなよ」となだめてくれた。

「…僕は、早く優美が良くなること、それだけが願いなんだ」「もう少しで終わるよ」

「…ね、柿貰ったから一緒に食べよう」

私はまたえんえんと泣いてしまった。

私は家族や和也に頭が上がらない。

和也には骨髄を貰っているし、母と父には….。母は元々パートだったので、夜にも居酒屋で働く事になって、1日中働きづくめで。父は定年退職後もその会社の系列会社で働いている。折角父が買ったマンションに家族一緒に住めなくて。今頃、普通の年頃は子供が授かっていて、子供が3歳ぐらいになったら一緒に旅行に行けるんだ。私は未だに親に不義理をしている。私のせいだと思うと本当に皆に申し訳ない。

でも、誰も。私を責めない。「辛かったね」「頑張っているね」「これで終わるから、もう少しだから」と優しい言葉しかかけない。和也も現に笑顔で頭をなでてくれる。

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