アメリカ独立革命
アメリカ13植民地の苦悩
13植民地とは(17世紀~18世紀)
◎ヴァージニアの建設
→最初の植民地。エリザベス1世のときに失敗したので再挑戦。
◎ニューイングランド植民地
→現在のアメリカ合衆国の東北海岸地域一帯。ジェームズ一世がイギリス国教会の信仰を強制したことによりピューリタンが移動して建設した植民地群を指し、一部が13植民地の一角を担う。現在ではアメリカ北東部の諸州、マサチューセッツ、コネチカット、ロードアイランド、ニューハンプシャー、メーン、バーモントの6州を指す。
●ニューヨークの獲得
→英蘭戦争に敗れスリナムと交換。
●ペンシルヴェニアの建設
→プロテスタントの一派・クウェーカー教徒が主に入植。
●ジョージアの建設
◎植民地議会
→イギリス議会を手本に13植民地それぞれに設置。住民の代表者が集まった。
◎プランテーション(大農園)
→主にアメリカ南部。労働力として黒人奴隷を使用。商品作物を栽培してイギリスに輸出して利益をあげていた。
この時点で、イギリス本国と13植民地の関係は良好だった。13植民地の西側にはフランス植民地があり、先住民と手を組んでいたので13植民地にとってはその2グループが敵であった。また、イギリスは重商主義政策の過程でフランスと対立関係にあった。
イギリス本国と13植民地の対立
◎フレンチ=インディアン戦争(1755~1763)
→フランスと先住民のうち親仏勢力の排除に成功。イギリスはカナダとミシシッピ以東などを獲得し、フランスはミシシッピ以西を残すのみとなった。
●イギリス本国の財政難
→北米植民地への課税を強化。しかし、13植民地は敵がいなくなったので課税に反発。
●印紙法(1765)
→あらゆる印刷物に課税。「代表なくして課税なし」と反発。
●茶法(1773)
→イギリス東インド会社に対し、北米植民地で販売する茶への免税権を付与。
●ボストン茶会事件(1773)
→急進派の市民が先住民に変装、停泊中の東インド会社の船舶を襲撃。
●ボストン港閉鎖
→イギリス本国の報復措置、マサチューセッツ植民地の自治を剥奪。独立の機運が高まる。
アメリカ独立戦争
13植民地の独立闘争
◎第一回大陸会議(1774)
開催地:フィラデルフィア
→本国政府に対する抗議や通商断絶同盟の結成を宣言。不当課税の拒否や植民地側の団結を画策。
◎アメリカ独立戦争(1775~1783)
●レキシントンの戦い(1775)
→独立戦争最初の戦い
植民地人が武器・弾薬を集めていることが発覚。イギリス本国が武器没収のため軍隊を派遣。最終的にレキシントンやコンコードで軍事衝突した。
●第二回大陸会議の開催(1775)
→植民地軍総司令官にジョージ・ワシントン(1732~1799)が就任
◎13植民地の状況
国王派…イギリス本国を支持
中立派…戦争には否定的
愛国派…独立支持派
→植民地人の意見が3つに割れていてまとまりがなかった。
●『コモン=センス』(1776)
著者:トマス=ペイン
→アメリカは本国から搾取されるのみで、何の利益も得ておらず、独立の必要性と共和国建設を主張。
●独立宣言(1776.7.4.)
起草:トマス=ジェファーソン
→ロックの自然法思想に基づき、基本的人権や革命権について言及。
アメリカ独立へ
◎13植民地を支援する国々の登場
●ベンジャミン・フランクリン(任1776~1785)
→駐仏大使。各国に支援を頼んで回る。
●サラトガの戦い(1777)
→植民地軍が本国軍に勝利。他国参加の流れができる。
●フランス→スペイン→オランダ参戦
●武装中立同盟(1780)
→エカチェリーナ2世の提唱
ロシア・プロイセン・スウェーデン・ポルトガル・デンマーク
→仲間のいないイギリス本国にとっては痛手。
●義勇兵の13植民地支援
コシューシコ…ポーランド、ワシントンの副官
ラファイエット…フランス
●ヨークタウンの戦い(1781)
→植民地・フランス連合軍が本国軍に勝利。
●パリ条約(1783)
→ミシシッピ川以東のルイジアナを獲得
アメリカ合衆国の政治体制
合衆国憲法をめぐる対立
◎アメリカ連合規約
→国名をアメリカ合衆国と定める。独自の憲法・議会をもつ13州の緩やかな連合体。しかし、全体としてのまとまりが弱い&政府は見守るだけだったため、見直しが必要だとされた。
⇩
●憲法制定会議(1787) フィラデルフィア
→ワシントンを議長とする。強力な中央集権的な憲法草案を採択。
◎アメリカ合衆国憲法
→アメリカ連邦政府の権限を強化。徴税権・通称規約権を追加。一方で、各州には大幅な自治権を付与。強制的な統率というより、足並みをそろえることが目的。
●三権分立
議会(立法権)⇔大統領(行政権)⇔裁判所(司法権)
●連邦派(のちの共和党)
→合衆国憲法に賛成の立場。通商を重視・産業保護推進・親英的外交。
●反連邦派(のちの民主党)
→合衆国憲法に反対の立場。農民・商工業者を基盤。
→憲法で定められた統治に関して対立が生まれた。
合衆国初期の大統領
◎ワシントン大統領(任1789~1797)
国務長官:ジェファーソン(反連邦派)
財務官:ハミルトン(連邦派)
→両派閥を上手く取り入れた。
◎ジェファーソン大統領(任1801~1809)
→反連邦派の初の勝利
→ミシシッピ川以西のルイジアナを買収(1803)
◎マディソン大統領(任1809~1817)
●アメリカ=イギリス戦争(1812~1814)
→別名:第二次独立戦争
1806年にナポレオンが大陸封鎖令を出し、イギリスの港へのすべての商船の入港を禁止したため、アメリカ船もイギリスに入れなくなった。さらにイギリスも逆封鎖に乗りだしたので、アメリカ船舶はフランス及びフランス植民地への入港が出来なくなってしまった。
この期間、アメリカはイギリスとの貿易を停止。アメリカ国内で生産したものをアメリカ国内で上手く消費していたため、アメリカの経済的な自立が促進された。
●保護関税政策(1816)
→米国内の初期産業を育成。安いイギリス製品の締め出し。ここからアメリカ産業の発展が始まる。