自分らしく生きるためのセルフコミュニケーション分析と改善のヒント#9「自立と依存のバランス」「欠乏欲求」
これまでの人生、周りに振り回されてばかりの「他人軸」のしんどい毎日を送っていたとしても、心の中の自己対話(セルフコミュニケーション)を見直すことで自分軸に軌道修正できるということをコンセプトに、シリーズでお届けする記事の9回目です。
今回は親子関係・兄弟姉妹関係・夫婦関係・友達関係など、本来は勝ち負けを競う必要がない相手、競争しなくてもいい相手と勝ち負けを競ってしまうせいで、いつも悩ましい関係性に向かってしまう……。
「これって自立心が人一倍強いから?」と思う一方で、もっと優しくされたい、もっと構ってほしいと相手に執着、依存している自分もいる……。
「結局、わたしって自立してるの? 依存してるのどっち?」
そうした「自立と依存」が矛盾する心境、葛藤状態から抜け出し、自分らしく生きるセルフコミュニケーションのヒントについてのお話しです。
他者承認欲求と自己承認欲求
はじめに承認欲求について簡単におさえておきましょう。
マズローは人が持っている根源的な欲求を、わかりやすく「欠乏欲求」と「成長欲求」しています。
マズローが提唱した欲求は、高次の欲求(上)から並べると
・自己実現の欲求 (Self-actualization)
・承認(尊重)の欲求 (Esteem)
・社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
・安全の欲求 (Safety needs)
・生理的欲求 (Physiological needs)
図で言えば承認(尊重)の欲求から下の階層が「欠乏欲求」と呼ばれるものです。
欠乏欲求(Deficiency-needs) は、その名の通り「不足していると感じる欲求」「満たしたいと感じる欲求」のことで、ようは「ない」という感覚から生じる欲求のことです。
この「ない」という感覚は、誰かと自分を比較して初めて認識できるもので多くの場合「劣等感」「無価値感」「無能感」が隠れています。
そして、承認欲求はさらに「自己承認の欲求」「他者承認の欲求」の2つに分けられます。
「他者承認欲求」は、他人から承認されることを欲する心理のことで、たとえば「認められたい」「褒められたい」「他人や社会に受け入れてもらいたい」といった欲求です。
ただし認める基準、誉める基準など「ものさし」は、あくまでも他人側にあるため、認めてもらうには相手の顔色を伺って機嫌を損なわないようにする、周りの空気を読むなど、相手の「ものさし」を満たすさまざまな知恵や工夫が必要になります。
他者承認欲求は社会的な生き物としてあって当然な欲求であり、自立すれば他者承認は不要かと言ったらそんなことはありません。ただし、他者承認を求めるあまり周りに合わせ過ぎれば、周りに振り回され自分を見失う(他人軸)といったことにつながりかねないため、他者承認に依存し過ぎないように注意する必要があると言えます。
一方、「自己承認欲求」は、自分が自分を承認したいと欲する心理のことで、たとえば「自分を好きになりたい」「自分を受け入れたい」「自分を尊重したい」といった欲求です。
自己承認の基準となる「ものさし」は自分の中にあります。そのため、自分に厳しい人や、劣等感や無価値感を抱えている人は自己承認が難しく、その代替策として他者承認欲求に依存してしまう傾向があるといえます。
一方、自分大好き人間で「自分さえ満足できたらそれでいい」といった極端に自己愛に偏った自己承認欲求を持っている場合、周りに迷惑をかけてもお構いなしといった自分勝手な振る舞いをするかもしれません。
このように承認欲求は人が持っている根源的な欲求ですが、他者承認と自己承認の欲求バランスをコントロールしないまま欠乏感を満たそうとすると、トラブルに繋がりやすいといえます。
いき過ぎた自立と依存
自立と依存は、一見すると対立する状態のようにも思いますが、対立するものではなく、お互いが密接に関係しています。
「自立」とは、他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を判断したり実行することを意味します。たとえば経済的な自立といえば、お金の面で誰の援助もなく自分で稼いでいる状態ですね。とはいえ、先ほどお話ししたように自立と依存は関係しているもので、自立に偏りすぎると孤立に向かうことがあります。
河合隼雄氏は、
と述べています。
先ほどの経済的な自立を例にいえば、確かにお金の面で誰の援助もなく自分で稼いでいれば経済的自立と言えるかもしれませんが、その稼いだお金はどこから(誰から)きたのでしょうか?
それは会社かもしれないし取引先かもしれません。いずれにしても、お金を払ってくれる人に「依存」しているわけです。
そう考えると、過度な自立心(依存している自覚もなければ感謝もない状態)は孤立に向かうという河合氏の弁は、まさにおっしゃる通りだと思います。
そして「依存」とは、他のものに頼って存在や生活すること。依存に偏りすぎると自分の言動の責任を他人に転嫁したり、他人の価値観に盲目的に追従し、いわゆる「他人軸状態」で周りに振り回されることになります。
このように自立と依存もどちらか一方に偏り過ぎてバランスが取れないと、承認欲求と同じようにトラブルに繋がりやすいといえます。
欠乏欲求を満たすことは目的? 手段?
承認欲求は「欠乏欲求」だというお話をしました。欠乏しているのですから欲しがる気持ちを満たそうとするのは自然なことといえます。
特に幼い頃からダメ出しをされるなどして自尊心を傷つけられてきたかたは、自己承認することが難しいため、承認欲求を満たすには他者を負かすことで自己承認を満たそうとしたり、他者承認に依存するケースが少なくありません。
というのも、傷つき癒されていない自尊心にとって、承認欲求を満たすことは傷ついた自尊心を一時的に癒し、心の痛みを忘れさせてくれる覚醒剤のようなものだからで、それくらい自尊心が傷ついているときは承認欲求を渇望している状態といえます。
これは、
・傷ついた自尊心を癒すこと=目的
・承認欲求を満足させること=手段
といった目的と手段の関係で示すことができます。
このとき、自己承認と他者承認のバランスを踏まえて承認欲求を満たす手段を考えることができればトラブルは起きにくいのですが、先にお話ししたように他者よりも優位に立つことで自尊心を満たそうとして、競争の必要がない相手との関係でも勝ち負けにこだわったり、他者に迎合することで承認欲求を満たそうとするなど、不健全な手段で承認欲求を満たそうとすることがあります。
こうした状態が、はじめにお話しした親子関係・兄弟姉妹関係・夫婦関係・友達関係など、本来は勝ち負けを競う必要がない相手、競争しなくてもいい相手と勝ち負けを競ってしまうせいで、いつも悩ましい関係性に向かってしまう一方で、その競争相手からもっと優しくされたい、もっと構ってほしいと相手に執着、依存しているといった「自立と依存」が矛盾する心境、葛藤状態を生み出しているのです。
また、手段と目的がいつの間にか逆転してしまうのは、私たちにはよく起きる現象と言えます。
元々は、
・傷ついた自尊心を癒すこと=目的
・承認欲求を満足させること=手段
だったにも関わらず、いつしかそれが逆転し
・承認欲求を満足させること=目的
・相手と競い負かすことで傷ついた自尊心を癒すこと=手段
こうした状態になってしまう……。
承認欲求を満たすことが目的化していると、相手と競い合いながらも、その相手から承認をもらうために相手に依存するというアンビバレントな状態に陥ります。
その矛盾が「自立なの? 依存なの?」といった葛藤を生み出すのです。
だとするなら、改めて「傷ついた自尊心を癒す」という目的に立ち返り、目的を達成するための手段として承認欲求とどう向き合うかを再検討し修正することで葛藤状態を解消することができます。
※承認欲求を上手にコントロールすることについては、こちらの記事も参考にしてみてください。
自分らしく生きるためのセルフコミュニケーション分析と改善のヒント#3「依存的なマインドを手放し、自立的なマインドをデザインする」
自立と依存の葛藤状態を解消するヒント
冷静に考えてみれば、勝ち負けを競う必要のない相手(夫婦・親子・恋人・友達など)との間で勝ち負けにこだわる必要はないこと。
たとえ相手に勝てたとしても自尊心が満たされ気持ちよく感じるのは一瞬だけで、得るものよりも実は失うもの(相手からの好意・お互いの関係性)の方が多いこと。
また、もしも負けたら負けたで、相手に対して恨みの気持ちが残ってしまうなど、競争してもなにもいいことがないことには気づいているはずです。
でも、気づけば競争関係に突入してるからこそ悩むということかと思います。
であれば、相手のことを「打ち負かしたい」「負けるわけにはいかない」そう思ったときには、深呼吸するなりその場から一旦離れるなどして、とにかく気持ちをクールダウンし冷静に自分を見られる状態にすることが先決です。
先にお話ししたように、欠乏感を満たそうとしてアクションを起こしても、手段が間違っていれば余計に欠乏感が増すばかりなのです。
そうやって「負けたら終わりだ」「勝たねばならない」と反射的に勝ち負けの関係性に突入することをまずは防ぎましょう。
そのうえで、次に紹介することに取り組んでみましょう。
・欠乏感の裏に隠れた感情を癒す
競争する必要のない相手を打ち負かそうとしたり、勝ち負けにこだわってしまうという背景には、自分は間違っていない、自分の方が正義なのだと「自己の正当性」を主張しなければならないという強い思いがあります。
でもなぜことさら自己正当化の必要があるのでしょうか?
それははじめにお話ししたように、欠乏感の背景には「劣等感」「無価値感」「無能感」があり、相手に負けてしまうと抑圧しているそれらの感覚を自覚させられ心が傷つくことを恐れているからと言えるでしょう。
つまり「劣等感」「無価値感」「無能感」を癒していけば、欠乏欲求に執着するがゆえに起きるトラブルごとも収束させることができるということです。
自分の中にどのような劣等感や無価値感、無能感に気づく方法はいくつもありますが、怒り、嫉妬心、失望といった強い不快な感情を感じたとき、その気持ちを探っていくとわかりやすいということについてはこちらの記事で紹介しました。
自分らしく生きるためのセルフコミュニケーション分析と改善のヒント#7 本音の「抑圧癖」から抜け出すヒント
今回は自問自答のワーク形式で隠し持った「劣等感」「無価値感」「無能感」に気づく方法を紹介します。
・欠乏欲求の裏側にある気持ちに気づくヒント
競争心が強いと感じている場合であれば、
「もしも自分が負けてしまったら自分になにが起きると思っているのか?」
この答えを思いつく限りノートに書き出します。そうしたら書き出した答え一つひとつに、
「そうなったらさらにどうなると思っているのか?」
とさらに問いかけ掘り下げてみます。
掘り下げていくと、「劣等感」「無価値感」「無能感」に繋がっている普段は全然意識することのない信念(思い込み)が浮き彫りになるはずです。
依存心が強いと感じている場合であれば、
「もしも自分が自立的な振る舞いをする人になったとしたら、自分になにが起きると思っているのか?」
と先ほどと同じようにノートに書きながら自問自答してみます。
すると同じように「劣等感」「無価値感」「無能感」に繋がっている隠された信念(思い込み)が浮き彫りになるはずです。
・相互依存関係(相互協力関係)を意識する
ここで言っている相互依存とは、いわゆる「お互いさまの気持ち」「感謝の気持ちの交換行為」のことで、相互尊重と言い換えてもいいでしょう。
「勝ち負け意識」が強いとなんでも自分で抱え込み、自分でやらないと気が済まないと思いがちです。そうやってなんでも自分で抱え込んでおきながら、「どうして手伝ってくれないの!」と相手に怒りをぶつけてトラブルになるケースは少なくありません。
逆に依存心が強ければ、なんでもかんでも相手に委ね相手をイラつかせてしまったり、相手の言う通りに従属することで、自分のまったく意図しない方向に振り回されてトラブルになることも……。
いずれのケースにしても自作自演で心理的な綱引きを仕掛けてはトラブルを生み出しているわけですが、悩ましいことに相互依存の心構えが薄いと、「相手が自分をイラつかせることをしてくる」と一方的に感じてしまいがちです。
相互依存関係は自分に得意な分野があればその分野で相手を手助けし、自分に不得意な分野があれば相手に協力を仰ぐ関係性を意識することから始めてみるといいでしょう。
具体的には「手伝わせて」「手伝って」を言ってみること。そうすれば自ずと「ありがとう」を言い合える関係、つまり自立的な相互依存が構築できます。
ということで、今回は親子関係・兄弟姉妹関係・夫婦関係・友達関係など、本来は勝ち負けを競う必要がない相手、競争しなくてもいい相手と勝ち負けを競ってしまうせいで、いつも悩ましい関係性に向かってしまう……。
「これって自立心が人一倍強いから?」と思う一方で、もっと優しくされたい、もっと構ってほしいと相手に執着、依存している自分もいる……。
「結局、わたしって自立してるの? 依存してるのどっち?」
そうした「自立と依存」が矛盾する心境、葛藤状態のせいで自分がよくわからずに悩んでいる状態から抜け出すヒントについてお話しました。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。