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大学の意義〜AI時代の人間力探究

「大阪公立大学」を志望する高3男子に向けて、英語と国語の過去問を用いた指導を行なっている。

2022年に大阪市立大学と大阪府立大学が合併してできた大学である。

今回は、その入試問題 (英語) から読み取ることのできる「大学の求める学生像」と「これからの大学の意義」について考える。


[1]受験英語の本質

国公立大学2次試験の「英語」は、社会で一般的に考えられる「英語」とは性質が全く異なる。

一般的な英語といえば「コミュニケーション」「会話」「発音」といったイメージであるが、国公立大学の英語は「語学」「翻訳」といったイメージに近い。

一般的な英語のイメージ
翻訳英語のイメージ


昨今の国公立大学で出題される英文は、単語や構文そのものはあまり難しくなく、表面的な意味の捉えやすいものが多い。

しかしながら、その英文を正確に訳そうとすると、表面的な「直訳」だけではなかなか上手く書けないことに気付かされる。

筆者の主張したい論旨をしっかり把握し、その論旨に沿った日本語に「意訳」しなければ、全体の意味を通じさせることはできない。

国公立大学の入試においては、そのような英文が意図的に出題され、そのような英文の中でも特に日本語にしづらい部分が意図的に問われる。

そのような深い中身を自分の頭で考え抜くことこそが、「英語」という入試科目で受験生に要求される能力であるのだ。

[2]大学の意義

高校は「高等学校」の略であるが、大学はそんな高等学校よりも上級の存在として位置し、ときに「最高学府」と表現される。

そういう最高学府の入学試験が、単なる知識の暗記やルールの機械的当てはめだけで簡単に合格できるようなものであってよいはずがない。

京都大学

私は学生時代、銀閣寺近くの「哲学の道」で法律書や哲学書を読みながら思索に耽ったものであるが、やはり「大学」であるからには、自分の頭で深く考える学生であるべきだ。

京大教授の哲学者・西田幾多郎にちなむ


[3]大学入試の意義

大阪市立大学といえば、実績も名声も申し分ない大阪南部の名門であるから、教授も学生も当然そのことに誇りを持っているし、「大学の顔」である入試問題においても、それなりの矜持をもった出題がなされる。

受験生はそのメッセージをしっかり受け止め、答案において自分なりの考え方をしっかり表現しなければならない。

自分は最高学府で学ぶに値する人間である。

自分の頭で考える力を十分に有する人間である。

あたかも口頭面接で自己アピールするかのごとく、自分の実力を答案にしっかり表現する必要がある。

国公立大学の試験は、共通テストや私大入試におけるマーク試験とは全く性質が異なるのである。

国公立大学の2次試験は、本質的に小論文や口頭面接のような自己アピールを兼ねていることを、受験生は認識しなければならない。

[4]AI時代に求められる能力

英語や数学という入試科目を用いて、教授連が受験生のどんな能力を測りたいのか、一度じっくり考えてみるとよい。

AI全盛の現代において、大学の授業で学生の書くレポートといえば、どれもこれも判で押したように無機質で機械的な紋切り型ばかりであって、わざわざ自分の頭で考えて書いている学生などほぼ皆無に等しい。

そんな大学の入学試験において、英単語の辞書的意味と単なる文法的知識とを羅列しただけの答案を見て、教授たちは何を思うだろうか。

そんな中で、キラリと光る、オリジナリティ溢れる、その人独自の解答を見つけたとき、教授たちは一体何を思うだろうか。


人間の存在意義が問われる


受験生にとって入試というものは、自分がこれまで何年間も努力して積み上げてきた学力のすべてを、余すことなく悔いなく発表する最大の見せ場である。

受験生諸君は、怯む (ひるむ) ことなく怖気づくことなく、勇気を持って自分の解答を提示してほしい。

いわゆる伝統ある国公立大学の教授たちは、受験生のそういう真摯な気持ちを必ず汲み取ってくれる。

学問の高みを目指して、精神性を高めて、ひたむきに真面目に取り組んだ末の解答に、しっかりと向き合ってくれる。

学問とは本来そういうものであるはずだ。


[5]大学本来の価値

もう一度私たちは、大学で学ぶことの意義を考え直す必要がある。

いい会社に就職するため。

いい資格を得るため。

そんな世俗的な目的を達成するためだけであるならば、いまの時代、何も大学に行かずとも方法はいくらでもある。

大学というものは、社会で直接すぐには役立たないような、一見遠回りの、壮大な思想や研究を進めるための場所である。

目に見える結果のすぐ出る「現世利益」を求める場所ではない。

世の中の表面的な政治・経済を超越した、「人間としてもっと大きなもの」を求めて、大学に進むはずである。

私たちは、もう一度その原点に立ち返り、大学進学について思いを新たにする必要がある。

もはや学歴社会は終わっている。

いい大学に入ったからといって、いい就職が保証されるわけではない。

学閥に入って美味しい汁を吸えるわけでもない。

自分自身の頭と心を使って、自分自身の持てる力を最大限に発揮して勝負しなければならない時代に入っている。

そのような意味で、大学は今後、本来の意義を取り戻し、純粋に学問を究めるための場所として、その価値を見出すことができるようになるであろう。


[最終章] 人間性追求の時代

これからは「自分自身の人間性」がより強く求められる時代になる。

単なる知識の機械的な応用はAIがすべて行うのであるから、我々人間は、「人間が人間のゆえんたるもの」で勝負しなければならないことは明白だ。

私たちは本来人間の持つ根源的なものに今一度立ち返り、深い人間性を追求していくことが重要な時代に入ったと言える。


いま時代は混沌とし、人々の多くは生きる目的を見失い、その惨状に気付くことすらなく、右往左往しながら生きている。

しかし、実はこの混沌の中にこそ、我々にとっての「真の目的」が見えてくるのかもしれない。

「風の谷のナウシカ」の「腐海」のように。

実は世界を浄化していた


私たちが人間存在の根本に立ち返り、「人間がより人間らしく生きる世界」が今後実現していくのかもしれない。

今はその過渡期にある。

これからさらに二極化が進む。

現世利益を求めて、金(かね)を求めて、欲望の限りを尽くすもよし。

人間性を求めて、学問の高みを目指して、精神性を追求するもよし。

どちらも人間である。


これからは私たち一人ひとりが、自分の選択により、自分の人生の方向性を決断していく時代だ。

私たちはどの道を選ぶのか。

私たちの自由だ。

皆さんと共に、それぞれの人生を共有したい。(了)

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