潜在意識と無意識の攻略を不可能に感じ、立ち尽くしかない日々 瞑想と修験道
ジレンマ、迷い、不安、人生の課題ばかり
走り出したいのに走ることができない、このジレンマは私にずっとついて回った。
気持ちは急くのに、心は追いつかない、この感覚ほど苦しいものはない。
焦り、苦しみ、不安、落ち込み、イライラ感が私の心を襲った。
この時期は本当に苦しかった。
もっと前へ走って行きたい、しかしどうしてもできない。
なぜできないのか?
考えるほど、邪魔をしているのは己自身しかいなかった。
イライラは私自身に向かった。
そして、それでも処理しきれない感情のはけ口は、周囲にも向かった。
この時の私はどうにもできない自分をの情けなさを周囲に当たることで、どうにかしようとしていた。
これによって離れていった友人や恋人には、今思えば本当に申し訳なく思っている。
未熟だった。
余裕がない、未来もない、現在もない、何重苦だったのだろうか。
潜在意識と無意識に潜む邪魔者
よくよく考えてみると、邪魔をしている自分というものは、自分の無意識・潜在意識に潜んでいるとわかってきた。
これは瞑想といった潜在意識を見つめるものに対して執着していたため、やはり瞑想を追求することで、潜在意識の自分を退治しようと思った。
克己しようと思った。
そうする方法は瞑想の修業をするしかない。
何度も瞑想で挫折している私は、再度はじめてみたものの、どうしても潜在意識に潜む自分に”出会う”ことができなかった。
無意識・潜在意識の攻略が、私の強い思いと実際の行動のバランスをとる唯一の方法とは知っていた。
瞑想の恐怖が出てくる
しかし、頭の表面で色々思ったからといって、潜在意識に響かなかった。
瞑想をやればやるほど私は焦った。
焦ると瞑想は必ず失敗する。
瞑想が苦悩に変わってしまうのである。
目を閉じて心を落ち着かせる行為でさえ、私は恐怖した。
私は呆然自失とするしかなかった。
どこにいっても八方塞がりで、絶望感に襲われた。
何もする気がなくなった。
しかし、走らなくてはいけない、この思いだけがあり、それが焦りとなって私を襲った。
自分を変革するのはそう甘くない
心を落ち着かせないと、私はこのまま狂ってしまうかも、それぐらい追い詰められていった。
なんて潜在意識は手強く手が届かないのか。
それはつまり、己自身の作っている壁を壊せないということ。
唖然呆然、瞑想に取り組めば取り組むほど苦しくなった。
呼吸も実際に息苦しくなった。
目を閉じ瞑想をすると、たちまち心臓の動悸が激しくなった。
10分も落ち着いて、眼を閉じていることもできない。
私の瞑想のサイドのチャレンジは失敗に終わった。
しかし、ここまでくると、逆に潜在意識の攻略をしさえすれば、なんとかなるという気持ちもあった。
方法はなくただ呆然と立ち尽くしかなかったわけだが、その方法しかないと思った。
とりあえず、私はたくさんの潜在意識・無意識・瞑想・催眠・密教に関する本を読みあさった。
少しは気が紛れるからだ。
瞑想がダメなら修験道がある、迷い続ける心
次に私は修験道に興味をもつことになる。
静という瞑想修行がダメならば、動というアプローチだ。
修験道こそが、私の潜在意識に働きかける一番の方法だと心底思った。
考えているだけでは何も始まらない。
動くこと、行動こそが、未来への第一歩だ。
修験道をやるべく私は修業の場を探し求めることになる。