二代目経営者の悩み その2 人心掌握術・威厳・指導力の悩み

組織、組織、組織

二代目社長の悩み、その2です。
会社はどこまで行っても組織であり、その組織が崩れると、会社も傾いてくる。
スポーツチームに例えるとわかりやすいかもしれない。
サッカー観戦が好きで、出張をかねて、ドイツやスペイン、イングランドに観戦しに行くことがある。

サッカー文化が熟成されていることに憧れるが、組織として機能していないチームは、どれだけいい選手(クラック)をそろえていても、非常にもろい。
しかも、監督が選手と心が離れていると、目も覆いたくなるぐらいボロボロだ。

私はリーダシップをちゃんと発揮できているのか?

お互いに信用できない関係は、どう抗っても修復不能だ。
企業のトップとして、あるチームが崩壊している様を見ると、身につまされる思いをしてしまう。

私は監督として、社長として的確なのか? リーダーとしてうまく組織を束ねて、社員や重役を動かせているだろうか?
社員は二代目の私を疑心暗鬼の眼で見てはいないだろうか?
前に書いたように社長は一人孤独だ。
誰も相談できない。
社内の人間には特にそうだ。

やはり創業社長の親父と比較してしまう

強いリーダーシップを発揮しなければいけない強迫観念に私はかなり苦しめられた。
そうなると、どうしても比較してしまうのが、先代社長たる親父だ。
威厳・威光・リーダーシップすべて揃っていた。
親父を中心に組織としてまとまっていた。

それは他業種から、今の会社に移ってきた時、はっきりそれを感じた。
以前勤めていた所では、組織として強固なものではなかった。
皆、バラバラ、上司もその上も、維持するだけで精一杯で、強固な組織作りと人心掌握術までは手が回りかねていた状態だった。

そこから移ってみたら、親父の人心掌握術は身内から見てひいき目無しに優れていた。
親父が唯一苦しんでいたことは、社員の人材育成の面だった。
本当にもどかしそうにしていた。
もう一人、二人俺がいればいいのだが・・・・親父の口癖だった。
それは不可能だから、効率のいい組織作りに励んでいたのだろう。
集団指導体制ではなく、親父がトップとしてぐいぐい引っぱる、いわば開発独裁国家(シンガポールやマレーシアがいい例)タイプの組織作りだったが。

人心掌握術が足りない

そうなると、跡を継ぐ予定の私(当時)は、親父の構築した組織をそのまま維持運用できるか、ということが不安の種だった。
そして二代目になった時、たくさん困難と課題にぶつかった。
組織作りも結局人間関係の問題だ。
人心掌握術のスキルが欠如していた当時の私にとって、あまりに大きすぎる壁がそびえ立っていた。

疑心暗鬼、将来への不安、維持することの難しさ・・・・これらがのしかかって押しつぶされる様子は社員に悟られたくなかったが、いくら無意識に抑圧しても、どこかで必ず感じ取れる。
人は演技しても、ギリギリの場合、必ず破綻するものだ。
社員は、おそらく私の不安や戸惑いを感じていただろう。
そうなると私の欲した人心掌握術も発揮されないし、不安は組織の中に伝染するから「あの社長、大丈夫か?」などと思われる。

組織は簡単にもろく崩れていく

組織は一度「戸惑い」「不安」が出た時、増幅されていく。次々に伝染していく。
サッカーのクラブチームがいい例だ。
昨シーズンいい成績を収めていたとしても、ちょっと躓くと、「不安」が生まれる。
さらにうまくいかないと、一気にチーム全体に不安が不安を呼ぶ連鎖で、ますます勝てなくなる。
こうなると、監督をクビにして新しい展開に持っていかなくてはいけない。
これは企業経営も全く同じ条件だったから、人ごとではなかった。

心理脳内コンサルタントの岩波先生

私の心理面や脳内面でコンサルティングをして下さっている岩波さんは、非常に暗示をかけることがうまい人だ。
何気ない言葉で、暗示を入れていく腕に長けている。
おそらく、プラスの暗示を入れ込む腕とノウハウにかけて右に出るものはいないくらいの鬼才だが、その人が言った言葉でよく印象に残っていることがある。

「組織の中で一度不安が生まれたら、その人が何をしなくても、強力な暗示のように、別の人間の無意識にスッと入り込んでしまう。不安という空気があっという間に増幅されて増幅する」と言っていた。

「暗示は不安な気持ちの時に、一番無意識に入り込みやすい。そしてなかなか意志の力では取り除けなくなる。言葉を発しなくても、空気と雰囲気によって、組織内の人間の無意識を不安でいっぱいにする。それはとどまることを知らない」

それほどまでに組織運営やシビアだ。
しかも、トップまで不安になっていたら、もう手のうちようが無くなる、という。

虚勢を張っても長続きはしない

どんなことがあっても、私は虚勢を張って生きなければいけないと思ってきたが、演技だけではいつか限界が来ることもわかっていた。
ボロボロに疲労するからだ。
それらの苦しみ・悩みを受け入れてこそ、経営者なのだろう。
しかし、短期的にしのげても中長期的に、今の私のままでは難しいこともなんとなくわかっていた。

決定的に孤独な存在、経営者

そこでまた、経営者は孤独というテーマになる。
どこまでも孤独だった。それが私の人生か。

よく名の知れたカリスマ経営者が、占い師や宗教にはまるという話をよく聞く。
さもありなん、だ。
私はそういう超常的なものに救いは求めないが、気持は痛いほどよくわかる。

こういう悩みもいくら隠そうとしても、どこかで空気として私から発しているはず。
不安が不安を呼ぶ恐慌状態になったら、会社は潰れるだろう。
どうしたらいいのか? 人生でこれほど悩んだ時期はなかった。
同じ社長仲間に相談するのもありだが、プライドもありなかなか本心までは打ち明けられない。

二代目の悩みを解決するために

二代目社長向けの自己啓発セミナーやコンサルティングもあるそうだが、たくさんありすぎて、どれがいいのかわからなくなった。
そこで瞑想や座禅に救いを求めるようになった。
孤独や悩みは、己の中にこそあり、そこを解決しなくては未来はないと思ったからだ。

自分の内面との対話によって状況を突破することにした(後述したいと思う)。
そこで様々な刺激や安らぎを得た。
と同時により、高みを目指したい気持も出てきた。
また、他の問題が私に降りかかってきて、一人で抱えきれない悩みで、私の精神状態が進退ついに極まった時、カリスマと言われる心理・脳内コンサルタントを知る機会があった。

特に意志の力では、どうすることもできない無意識や本能レベルへの訴求効果がかなりすごいと言われて、興味を持ったことがはじまりだった。
私の悩みの解決方法も、私の内面に詰まっていることは確かだった。
そこを克服して、己が向上する以外、人心掌握も指導力の悩みもついてこないと思っていた。
一時しのぎで、「立派な威厳あるリーダー」を演じるのはもう限界だった。

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