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祈りたくなる 「光のカーテン」
Newアルバム「イロトリドリ」発売に先駆けて、カラオケ配信中の曲紹介をしていますが、この「光のカーテン」と合わせて、残りあと二曲になってしまいました。ずっと書いているので、曲紹介が終わるのは寂しくはありますが、発売日が近づいている嬉しさもある贅沢な寂しさだな、と思っています。
他の曲もそうなんですが、この曲も”書けてよかった”と心底思える歌。
この想いを忘れないように、なくさないように、”僕はこう思えた日がある”、その気持ちを歌という形に焼き付けられた。
本来はアルバムに入る予定ではなかった曲だったんだけれど、この「イロトリドリ」を完成させるには、どうしても必要だった祈りの歌「光のカーテン」。これからも人生の喜びを諦めず生きていくために。
雲の隙間から放射状に降り注ぐ太陽の光。
僕はこれを「光のカーテン」と呼んでいた。
誰に教えられたわけでもなく。
許される、そんな気持ちになるのはなぜだろう。
許されたい、そんな気持ちに光が射すのはなぜだろう。
抱えたものがやたらと重くて、その場から動けなくなる。
失敗ばかり。
人の愛し方、自分の愛し方すらも。
見る側の心理状況によって”自然現象”に喜怒哀楽や意味があると思いこむ。
そんな風に頭で理屈をこね回す癖がついてしまった。
至る所に、その癖が顔を出す。
「光のカーテン」
別名、薄明光線、光芒とも言う雲の隙間から太陽の光がこぼれる現象。
僕はこの「光のカーテン」を見るたびに、すがるように祈りたくなる。
何から許されたいのか、何を許してもらいたいのか、数え上げたらきりがない程の後悔。
その事柄から特定の”何か”を取り出すでもなく、考えるより先に感情が心一面に広がる。
どれだけ自分の偏った正しさを押し通すために、大事な人を犠牲にしてきたのか、今頃になってわかってしまったから。
抱えきれない後悔に潰されて、不意に前に進めなくなりそうになる今。
それでも、その過去があったから出逢えた人たちがいる。
だから、見つけた想いを忘れてしまわないように、必死に言葉をメロディに焼き付けて残した「光のカーテン」
どの未来選んでも わがまま連れてくなら
何度選べても 変えたいと思うんだろう
あの過去でよかったと 今を好きになれたら
今が輝きだすから 自分が輝きだしてさ
未来を照らすんだ
あの空に降り注ぐ 光のカーテンのように
『後悔しない人生なんてあるわけない』そんな都合のいい言い訳で、自分の過ちを正当化しそうになる。
開き直らず、背負い過ぎずに、その後悔を大事にする、そうやって豊かな未来への糧にできる人でありたい。
気づけなかった、壊してしまった。
確かに幸せの真っ只中にいた僕たち。
僕がそれを後悔してしまう過去に変えた。
笑いあってばかりいた僕らに心から謝りながら。
何よりも深く深く感謝しながら。