僕の歌 ポップスという魔法
「僕の歌」
そう言い切ってしまった後で、“違うな”と思える幸せがある。
全国で見れば、何の知名度もない「吉田祥吾」。規模の物差しは厄介で、せっかく存在する価値や喜びをたやすく萎れさせてしまう。
知名度や規模で比べるからだ。
それが「僕の歌」と言い切ってしまった時の違和感を考えるきっかけ。
きっと全国各地で名もなき歌い手や語り手が勇気や希望を伝え続けているはずで、僕もその仲間の一人として、ここ久留米を中心に活動を続けている。
「僕の歌」幸せな違和感の成長過程。
ギターを弾きながら、言葉とメロディを探したり、時にはもとからあったかのように紡いでいけたり、そんな風に、たったひとりで生みだした歌は「僕だけの歌」。そう、ほとんど、どんなミュージシャンも歌い手もアーティストもここからが始まる「自分だけ」の状態。
そして、規模はあれど、人前で紹介するように歌い始めると、その時点で「僕の歌」に変わる。 そして、聴いてくれた人、それぞれの人生のかたわらに居れるかどうかで「僕だけのじゃない歌」に変わる。
今はyoutubeもあるから、ひとくくりにメジャーだからとは言えないけれど、歌を届ける為の場所や組織が大きい方が圧倒的に「みんなの歌」へと変わるチャンスが生まれる。
動画にもあげない、メジャーでもない、ライブ活動もどうにか続けている。それでも、歌は関係なく伝えたい誰かの心から生まれ続けている。
僕の歌も同じだ。
いつも「僕だけの歌」で始まり、手元に残り続ける。
それが当たり前だと思っている。
その「僕だけの」が「みんなの」になった歌が何曲かある。
そのなかの一曲『ハレルヤ』
そして『大丈夫』
『ガンバ』という曲も。
誰かの人生を変えられるような歌を歌いたい。
それが僕の始まり。
過去の僕、その想いの強さと素敵な勘違いに感謝している。
Mr.childrenの『innocent world』に人生を変えてもらった僕は、音楽の、そして、歌の力を信じられる。あの時あの曲を聴かなければ人生がまったく違うものになっていた確信がある。
ポップスの持っている力。音楽は詳しくない。ただただポップスが好きなだけ。日本の音楽で育った。
「Mr.children」「BUMP OF CHICKEN」「尾崎豊」「rough laugh」「GLAY」「L'Arc〜en〜Ciel」「LUNA SEA」「Spitz」「ゆず」「Something ELse」「森山直太朗」他にもたくさん。
この人達が居なかったら大袈裟じゃなく「吉田祥吾」は存在しなかった。
僕は日本のポップスが大好きだ。
僕の書く曲は何の変哲もないどこかで聴いたことのあるメロディだと思う。
それでも、素直に影響を受けた素晴らしいポップスの遺伝子でありたいとも思っている。
聴いている人数じゃない。売れているからじゃない。
僕の人生を変えてしまった「ポップスの魔法」。
その力を知っているからだ。
幸せなことに、その「吉田祥吾の歌」を好きになってくれて、人生の味方にしてくれている人達が居る。「僕の歌」なんて閉じた表現に違和感を感じさせてもらえるのは幸せだ。「あの人の好きな歌」として、僕が書いた歌があるだけ。そんな幸せな状況が身近にある。
これからも僕はポップスの魔法に動かされていく。
「僕の歌」じゃない「あの人の歌」になれるように。
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