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久留米

小学校5年生の時に久留米に引っ越してきた。

小学校2年生の終わりに生まれた場所から引越した。それから一年毎に繰り返す引越しは、ただでさえ学校に行けない僕をより家の中へ、またその家の中の押し入れの中へと誘った。

小学校3年生では隣町、次に迎えた小学校4年生、四十キロ以上も離れた福岡市へ。
一年に一回の引っ越し。
その最後の引越しが久留米、5クラスもある大きい小学校への転校だった。
「またどうせすぐに別のところへ行くだろう」と嫌っていた町。思惑は外れ、何年経っても引っ越さない。
家に居ても苦しいのに、どこかに帰りたくてたまらなかった。どこにも居場所がなくて、とにかくこの場所から逃げたくて、行くあてもなく歩き回った久留米という離れたかった場所。
その日泣きながら歩き回っていた僕が覚えている風景。その風景にアストリアスの工場があった。
線路の近く、当時はそれが何の工場かなんてわからずに見ていた。

それから短くはない時間が流れ、大嫌いだった久留米が、今では大好きでしかたない場所になった。一生ここで暮らす。
だって、ここで本当の友達が出来た。
だって、ここで本当の愛情をもらった。
何度も泣いて、その度に“負けるもんか”と涙をぬぐいながら見た景色がここにはある。
夢も見て、恋もして、家族が出来て、その家族を失いもした。たくさんの失敗と成功、そして、どうにも出来ない後悔も抱えて、それでも生きていく勇気をもらってきた。

「吉田祥吾」の人生を豊かに育んでくれている久留米。

その久留米にあるアストリアス。

デビューが決まった時、事務所の社長と工場を訪ねた。その時ドキドキしながら弾かせてもらったギター、その心臓の鼓動と共鳴したようなギターの音色がずっと耳に残っていた。

「いつかちゃんと歌で稼いだお金で自分だけのギターを頼もう」と決意したアストリアスのギター。

僕から生まれるすべての曲は久留米で生まれる。だからギターも、久留米で生まれたギターがいいと強く思っていた。
音がいい。もちろんそれも大事。
けれど、久留米生まれで、何より一緒に育っていける自分の為に生まれてきたオリジナルギターだということ、それが大事な大事な理由。

久留米には、辛い思い出もたくさんあるけど、それも人生の大事な一部。音だけじゃない久留米に来てからの想いを全部詰め込んだ「アストリアス」で作ってもらった僕だけのギター。

小学校5年生のあの日。
久留米が大嫌いだった。
それよりも何の力もないただの子供だった自分がもっと大嫌いだった。
その時に泣きながら通り過ぎたアストリアスの工場。

その横を通り過ぎるキミに伝えたい。

「大丈夫、ちゃんと大好きになれるよ」

もう会えない大切な人達。
今もそばに居てくれる大切な人達。

その人達に会えたのも久留米だからだ。

久留米に人生がある。

僕は今日もアストリアスのギターを弾いて、大切な人達を思いながら歌っている。

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