わずか
暗い、暗い、空気の重たい場所に留まっている。すると、そのうち目は暗さに慣れてくる。ところが、まとわりつく重たい空気には慣れることなく、いつまで経っても落ち着けない。かといって、その場所が”最悪”というわけでもない。
うっすら見えている世界で、どうにか生きていける。また、暗い場所でしかわからないこともある。ただ願わくば、わずかでいい。光が必要だ。
その場所から離れることは容易ではなく、そこに息づく生活や、絡まった情の糸や、生きるためのしがらみ、捨てられない理想や期待もあるだろう。
その向こうに心綺楼のように揺れている、渇望している安堵や平穏が見えているのだから。
重たい空気にわずかに光が触れると、ただの塵や埃が優雅に舞い、生き物の様相を見せ、そこに確かな空気の流れを見ることができる。
どれだけ暗さに目が慣れても、”はっきりみえていない”ことが恐怖や不安を連れてくる。鮮明に見えていない猜疑心が心に深く根をはる。
重たい空気が心にも体にもまとわりついて、現実を生き抜くために呼吸をするだけで精一杯。光を探して目を見開き過ぎて、そっと目を閉じた自らの宇宙で想像する力を手放してしまう。
見えていないだけで、この世界には常に呼吸が続く程の新しい空気が絶え間なく流れ続けている。
どんなに暗く、空気の重たい場所だとしても、光が常に射し込まない場所だとしても、光を無理やり探さず、呼吸を整えて、目を閉じ心の宇宙に身を預けることが出来れば”想像する力”を手放すことなくいれるだろう。
願わくば、わずかな光があればいい。その光があればきっと思い出せる。
うっすらとしか見えない、重たい空気が体と心にまとわりつく暗がりの世界。そんな世界でもきっと生きていける。