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あれから5回目の京阪杯が、今年も、無事に終わった。

 もう、5年か。君が突然いなくなった、あの日から。
 僕が初めて追っかけをした馬、ファンタジスト。新馬は偶々現地にいたが、然程印象には残らず、というより新馬戦を真面目に見るということはしていない時期だったから、何となく見ていたレースの内の一つだった。
僕がファンになったのは、小倉2歳の前夜。未だに鮮明に覚えている。小倉2歳を賭ける為、全馬の全レースを見ている時のことだった。ただ一頭、輝いて見えた。それが、彼。ファンタジストだった。現地で見た時には何も思わなかった彼のレースを見て、心が動いた。彼のファンになった瞬間だった。彼は小倉2歳を勝ち、京王杯2歳へ臨むことに。京王杯2歳は、彼を見るという理由で、初めて、現地へ行ったレースだった。彼が好きだった。
 朝日杯、スプリングステークス、NHKマイル、皐月賞。北九州記念、セントウルステークス、スプリンターズステークス、JBCスプリント。1年で何走も走ったが、GⅠでは、どれも好走出来ず。紆余曲折あり、芝のスプリントで、再び輝く為、京阪杯へ。彼は再び輝く、その筈だった。
 ラジオで聴いていた。彼の名前が呼ばれなくなった。ダメだったか。また来年か。そう思った次の瞬間だった。競走中止した馬がいる、と。彼じゃないと思って、願った次の瞬間には、「ファンタジストが競走中止をしています」と。非情なアナウンスが冷静な声で、僕の耳には入ってきた。祈る様な思い。軽症であってくれ、と。ただただ、祈り、願っていた。Twitterで検索し、「幕が張られ、馬運車に」との情報を目にした時も尚、彼がいなくなるということだけはない、と。そう信じて、いや、そう信じるんだと自分に言い聞かせ乍ら、彼の無事願い続けていた。

 願いは、祈りは、届かなかった。

 あれから、5年という月日が流れた。心の傷はもう、大分癒えた。ただ、それは、彼を忘れということと、同義ではない。彼の輝いていた姿は、僕の心の中で、今尚、生き続けている。死について書く時、毎回書いている言葉を、今回も書こうと思う。人は二度死ぬ。一度目は亡くなった時。そして、二度目は、忘れられた時。だから、あなたの大切な人や、存在が亡くなって、それを受け入れられた時に思い出して欲しい。あなたが大切だった人や、存在を覚えていて、語り続ける限り、その人や、その存在は生き続けている。僕の中で、ファンタジストが生き続けている様に。だから、もし、あなたにとって、大切な存在が亡くなって、受け入れられた時には、思い出して、話したり、書いたりして、愛し続けて欲しい。あなたのその命が尽きるまで。そうすれば、あなたの心の中で生き続けることが出来るから。僕はこれからも、彼、ファンタジストと共に、生きている。

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