ファンタジスト、一周忌。彼がどうしても生きたかった、今日。
ファンタジスト。彼が京阪杯で競走中に亡くなってから今日で丁度、一周忌。彼が亡くなった日に、生きる希望だったJCの落選を知る。彼の命日に、彼の処へ旅立つ。そんな軽率で、美しくって、劇的(ドラマチック)な人生があって良い。なんて考え乍ら、彼に想いを馳せる。
そんな時だった。ふと、頭を過ったのは。
彼がどうしても生きたかった明日という日が続いて、一年が経ち、今日、今、そして今書いているこの瞬間が、ある。僕には、ある。一生懸命生きられる、今日が。彼にはもうない、今日が。彼の処には行ける、いつでも。そして望まずとも、何れ、逝ける。
彼はもう、いない。彼にはもう、会えない。だからといって今すぐに彼に会いに行くのか。会えるかどうかも分からないのに。そんな賭けをするのか。彼の生きたかったはずの今日という日を、捨ててまで。
確かに彼のもとへは、行きたい。けれども、僕の人生がこれで終わって良いのか。今日が最後で良いのか。やり残したことは、ないのか。お前の人生というドラマのクライマックスをもう迎えたのか。いや、そもそもあったのか。そんなことを自分自身に問いかけると、迚もじゃないけど、未だ死ねない。こんなもんじゃ、終われない。未だ、未練しかない。だから、生きる。こんな消極的だけども、僕には生きる理由がある。けれども、ファンタジストにだって、GⅠ勝利というクライマックスを迎える前に、逝ってしまったではないか。なら、僕も。とも思わなくもない。けれどもそれは、彼の生きたかった今日を、捨てるということ。こんな意気地無しなことを考えている内に、家に着こうとしている。情けない。
情けない。これが僕の唯一の、取り柄だ。生きていくことが、正しいとするなら。電車に飛び込もう、車に飛び込もう、そんなことを思って、やろうとした日に、その瞬間(とき)僕の脚は、竦んだ。死ねなかった。生き続けることが正しいのなら、卑怯で情け無いことが、僕の取り柄。かっこよくなんか死ねない。だから今日も、明日も、きっと卑怯に、情け無く、生きていくのだと思う。
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