あの京阪杯に、あの日のことを心の片隅に抱えながらも、僕は進む。

故安倍元総理の国葬で、菅義偉前総理が言った。
「あなたがいなくても、時は過ぎる。無情でも過ぎていく」

 僕は、ファンタジストという馬に惚れ、ファンになり、できる限り現地で見たが、あの日は現地には行けなかった。ただ、今思えば、行けなくて良かったと思う。現地にいたら、一生のトラウマだったと思う。3年前の京阪杯、彼は淀に散った。急性心不全だった。京阪杯の度に、彼のことを思い返す。僕の人生のあの時期は、彼とともにあった。あの悲劇から、もう、3年。時間が流れることで、あの時負った心の傷は、大分癒えたように思う。そう言うと、僕の中で彼の存在が次第に小さくなっているような気がしてしまう。ただ、これからも、京阪杯が来る度に、彼のことを想うと思う。誰かが言っていた。人は、二度死ぬ。一度目は、死んだ時。二度目は、残った人たちに忘れられてしまった時。そういう意味で言えば、ファンタジストは僕が死ぬまでは、生き続けると思う。彼のことは、死ぬまで忘れないつもり。どれだけ生きれるのかは知らないが、僕の記憶の中では、生き続ける。ただ、記憶の中で彼が生き続けることと、彼の死で負った心の傷を一生引き摺り続けることは、イコールではないと思う。彼は死んでしまったが、僕は生きている。生きている以上、前に進んでいかないといけないと、僕は思う。ただ、それは彼を忘れるってことではなく、彼との想い出は、想い出として、記憶という引き出しに大切にしまって、時々開けて思い返しながら生きて行くということだと思う。前へ進む、と言った。前に進むには、希望を持ち、未来を描き、今を生きる必要があると思う。僕の今の希望、それはPOGの指名馬、プレドミナルがダービーを勝つこと。その第一歩を見届ける為に、京阪杯の行われる仁川に向かう。何の巡り合わせか、僕にとって、無二のレースとなってしまった京阪杯の日に、京阪杯の行われる競馬場に行く。希望を抱いて。これは僕の勝手な決意のような感情も湧いてきた。彼が散った淀ではないが、彼が空になってしまったレースを見届けることができれば、僕もしっかり前へと進んで行けると思う。2年前なら、この日に希望を抱いて、行くことはできなかったと思う。彼のことは忘れない。でも、彼のことをトラウマにもしない。心の片隅にいる彼とこれからも生きていく。そして僕は、前へ進む。このことを誰かに伝えたくて、ここまで書いた。最後まで、読んでくれて、ありがとう。それでは。


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