一競馬ファンとして、一人の人間としての命との向き合い方

 藤岡康太騎手が先週の落馬により、亡くなりました。好きな騎手でした。差し追い込み馬で軸馬にして、負けたら諦めのつく、実力はあるけど、人気はそこまでしない、一馬券購入者にとって、迚も有り難い騎手でした。今週も、来週も、そして来年もいる筈だった。一瞬のことで、いとも簡単に命を落としてしまう、危険を伴うものであることは、頭では理解していたつもりでも、こういうことが起きてしまうと、やっぱり胸にくるものがあって。去年のダービーのスキルヴィングや、僕の大好きだったファンタジスト。そして、今回。競馬を見ていく限り、競馬ファンを続ける以上、そういう出来事は必ずまたどこかのタイミングで起きてしまうもの。そんなことを一々気にしていてはなんて言う人もいるかもしれないけれど、僕はそうはなれないし、なりたいとも思わない。こうして何かが起きる度に、真正面から受け止めて、向き合って、そして、その人馬たちを心に刻み込む。毎年、その人馬が輝いていたレースや、亡くなったレースが来る度に、想いを馳せる。そうして毎年想い起こし、向き合う。それが僕の、その馬やその人、との向き合い方。命について、話したり、綴ったりする時に、毎回の様に書くことを、改めて書こうと思う。人や、馬が完全に死ぬのは、その人や、その馬が、関わっていた人の記憶から、いなくなったとき。僕の心の中で、ファンタジストは鮮やかな輝きを放って、今も生きている。時が流れたからこそ、そういうことが言える。けれども、ファンタジストの訃報の直後や、今も、まだ現実を受け止めきれていない。今週も、来週も、来年も、彼の名が出馬表のどこにもないという事実は、信じられない。全人馬無事という言葉を使うけれど、実際、一つの落馬もなく、一つの怪我もなく、一年間開催が終わる、ということはあり得ない。だからこそ、全人馬が命を懸けていて、全人馬あっての競馬ファンであることを忘れてはならないと、僕は思う。人の数だけ競馬がある。というのが、競馬の良い所だと思う。ただ、人馬が命を懸けてはじめて成り立つことに、感謝の出来ないファンは、いなくなって欲しいと、僕は思う。
 今日は、木曜日。今週の出走馬が、今週も、確定した。今週こそ、全人馬無事で開催が終えられることを、心より願います。
 


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