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伝え方の悩み。何かを否定してこっちを優位に見せる手法はやりたくないがどうしたら良いか

「今までのあのやり方や商品ってよくないですよね。だから私がそれをなんとかします!」
という、自社の事業や商品の良さを伝える時に、何かを否定する伝え方ってありますよね。あれはその領域のことを知らない人も含めた多くの人に課題をわかりやすく伝えるため、短い時間で価値がありそうなことを伝えるためには有効な手法だと思います。

とはいえ、自分の人生の中ではできる限りやりたくない。
では、同じシチュエーションで何か有効な別の手法があるかと考えてみると実はあまりない。これは一度ちゃんと考えてみようと思い、思考を整理しながら書いたのがこの記事です。

結論は、時間と実績を味方につけるしかないよねという話で、「初めましての人に短い時間で伝える」という短期的な利益を得ることに期待をしてはいけないのかもしれないという話なのですが、何かの参考になれば幸いです。


みんな自分を優位に見せたい

我が家には某“快適すぎて動けなくなるソファー”があって、人をダメにし過ぎた結果、中のビーズがヘタってきたんです。それで先日、近くの店舗に補充用ビーズを買いに行きました。ところが店には残り1袋しかなくて、家のソファーには足りない。でもとりあえず確保しておこうとなり、お店の人が「袋が破けたら大変なので」と紙袋に入れて渡してくれました。
そして後日、今度は別の店舗で不足分のビーズを買うことにしました。そのお店は前と違って、ビーズをそのまま渡してきました。ショッピングモールの真ん中でビーズを散らかす惨事は起こしたくない。だから「前に買ったときは紙袋に入れてくれたけど、大丈夫?」と聞くと、店員さんは「これは破けないように補強してあるので大丈夫です!」と自信ありげに答えてくれました。それならとビーズの袋を手にしたところ、店員さんが一言。

「前のお店はきっと、補強をサボっていたんですね!」

私はその言葉に、思わずのけぞりました。当人には悪気はなく、おそらくフォローのつもりだったのでしょう。もしかしたら「次は最初からうちの店舗に来てくださいね!」というアピールだったのかもしれません。でもそれでこのお店に愛着が湧くかといったら逆効果。
商品が最高なので、この発言があったから「おたくの商品は使わない!」とはなりませんが、ブランドへのエンゲージメントは若干下がったわけで、問題の発言をした店舗も最初にビーズを売った店舗も、そして顧客である私も、“誰も得しない”ひと言だったわけです。

事業や商品のプレゼンでもよく見かける手法

“周りを下げて、自分をよく見せる”やり方は、プレゼンテーションの場面でもよく見られます。
例えば、25Holdingsが身を置くペットフード市場でよくあるのは、一般的なドライフードに対して、ウェットフードやフレッシュフードと言われる商品をメインに取り扱う会社は、ドライフードを人間のエゴで生まれた商品と非難することがあります。確かに、世の中には流石にこれはチキン!というよりはチキン風味の穀物だよなというものや人工添加物が心配になる商品もありますが、一方で安全な添加物を使い、かつ安全な製法で、トレーサビリティが明確な製造工程を敷くものはたくさんあります。それもひっくるめてドライフード全般を否定して自社商品の良さを売りにするのには首を傾げます。
かつて腰を据えていた人材業界でも人材紹介の既存のやり方を否定して自社サービスの優位性を発信し続け話題になる会社もありました。結果的にその後は人材紹介ビジネスの支援をする展開になったわけです。
企業の方向性は変わるもの。だから致し方なしとも思うのですが、できる限り自分の発言には責任を持ちたいというのが私の価値観です。

初めましての人に短時間で伝えるには有効

なぜこの手法を取るのか。それはやはり、他者を下げて自分を上げる、仮想敵をつくり自分たちの優位性を主張するやり方は、伝わりやすい。シンプルな言語とメッセージによって、初対面の人やその領域で知識がない人にも手っ取り早く共感を得られるから。だから政治の世界でも、巧みに使われています。

でも白か黒か、AかBかといった二項対立の考えは、周囲を取り巻くさまざま要素をノイズとして削ぎ落してしまいます。でも現実の社会は、そうわかりやすいものばかりではないでしょう。世の中のあらゆることは白100、黒100ということのほうが稀で、グレーの濃淡差の中に真意が隠れていることがほとんどです。仮にAを支持する場合でも、大抵はスペクトラムなものであり、完全同意しているとは限らないものです。

それに「Aは善でBは悪だ」という思考は、単に対立や反発を招くからよくないというだけでなく、Aのデメリットに盲目的になる危うさも含まれます。最終的にAか、Bかを決めなければならなかったとしても(たとえば増税するのかしないのかとか)、対立する相手を負かす必要はないはずです。それよりもAとBにあらゆる側面から光を当てることで、それぞれの影も浮かび上がってくる。そのうえで多数派も少数派も納得できる着地点を見出す行為そのものに、議論する意義があるはずです。

そもそも現代社会は、膨大な情報量と価値観や考えの多様化によって、どんどん複雑さを増しています。ダイバーシティ&インクルージョンなど、“白か黒か”が通用しない考えです。なんたって、「自分の価値観にはないものを広く受け入れ、生かしましょう」というのですから。削ぎ落すどころか、複雑、混沌の中で最適解を見出すプロセスともいえるでしょう。“でないほう”を無視するというのは、やっぱり持続可能な社会をめざす時代にはそぐわない気がします。

伝えたいことはどうすれば伝わるのか

グラデーションがあり、複雑な社会の中で、自社の事業や商品の良さをどう伝えるか。これは結局のところ、自社が信じる道の実績を重ねていき、そして信頼関係を築いていくしかないのではと考えています。

自分たちが信じる道。それは最初は1割も伝わらないかもしれない。
でも愚直に形にしていくことで、少しずつ「そういうことなのか」と気づいていただく人が増えていく。
その後も現状に甘んじることなく、愚直に。

時間がかかるでしょう。それなりの形にするにはきっと3年、5年とかかるかもしれません。
時に形にならないことに不安になり、そのことを外部から揶揄されることもあるでしょう。
積み上げた実績が崩れるような出来事もあるかもしれません。

それでも実績や事実が信頼関係に繋がり、自社の事業や商品をお買い求めいただく人が増えていくのではと信じて。
この考え方だと垂直的に事業を立ち上げるようなことはできないのかもしれません。それもまた人生。今日・明日もまた推進していこうと思います。
ありがとうございました。

最後に

すでにお気づきの人もいるかもしれませんが、この主張自体も「自社の事業や商品の良さを伝える時に、何かを否定する伝え方」を否定して私の信じる伝え方を持ち上げているようなものかもしれません。
改めて伝えるということは難しいものですね(苦笑

最後までお読みいただき、ありがとうございました。サポートも嬉しいですが、基本的に全て無料で投稿していきますので、「スキ」を押していただければ励みになります。よろしくお願いいたします。