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言いたいことが全てつまっていた映画「私はダニエルブレイク」

失業の身である私にとっていちいち「そうそう!」と唸ってしまう映画だった。


映画「私はダニエルブレイク」


心臓疾患により大工の仕事を止められ、国の援助を受けようとするが
煩雑な手続きと「デジタル化」の現状に対応できず、苦悶する。
同じような境遇のシングルマザー親子に出会い、助け合いながらもこの状況を乗り越えていく努力はするが、情弱に冷酷な”「世間の仕組み」に対応できず絶望的になっていく。。
良くも悪くも仕事一筋であったがために、その間に劇的に変化した「世間」と自分とのギャップに苦しむ。
彼は他人に施しや救いの手を差し出すが、国は、システムは、そうではないらしい。残念ながら。

この映画を見て感じたこと。
本人に全く責任がないとは思わない。が、役所側にあまりにも当事者意識が希薄だ。国のシステムも。
デジタル化や効率化、コスト削減の波に逆らうことはできない。この先もこの流れはむしろ加速してゆくことだろう。

しかし世の中には様々な境遇の人がいる。ネット環境の整っていない家庭もあるし、セーフティネットの基準から零れ落ちる境遇の人もいる。対人関係をうまく築けず自らの状況を発信できない人もいる。
しかし世間ではそのような境遇の人は「落伍者」と見られがちである。
そういうある種「グレーゾーン」にいる人はあまり表に出てこないので独り困難を抱えて生活をしていると思う。

私は無駄は省くべきだと思う。不要と思われるなら削減すれば良いし、失くしてもよい。しかし、困窮している人に対する人間的援助・フォローを無駄とは思わない。むしろ必要経費である。

本来、社会保障の目的は安定した生活を送れない境遇の人に手を差し伸べることではなかったか。振り落とすことが目的ではあるまい。

象徴的なシーンがある。
心ある職員がダニエルに寄り添おうとすると、上司から、「やりすぎ」「前例をつくるな」と注意をうけるシーン。

現状のシステムに対応できない人には寄り添って対応し、そのための時間・人員は必要経費とみなすべきではないか。

個人のリテラシーの差が保障内容の差になってはならない

ブレイクが最後に語りたかった言葉を抜粋。

”私は依頼人でも顧客でもユーザーでもなく、怠け者でも物乞いでも泥棒でもなく、国民保険番号でもない。きちんと税金を払ってきた。それを誇りに思っている。 私は人間だ。一市民でありそれ以上でも以下でもない。敬意を持って対応してほしい。”

少なくとも政治や行政に関わる人には観てほしい映画。



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