学ぶ為にはプライドを捨てる。
毎日生活をしていて…知らないことに直面する、ことがあったりしませんか?
それって、当たり前なことであって、日々新しいモノが生まれ、流行り廃りもある中で、そもそも全てのことを知り得ること、こそ逆に難しいわけなんです。
僕が大事だと思うのが…「一つずつでも知ろうとすること」です。
しかし、それをわかっていたとしても、おざなりにしてしまうというのも…正に人間らしく繊細で難しいところ、なのかなという気もしています。
今回はそういった…「本来大切にしていきたいこと」の気付きとなる、そういう記事を書いていきたいと考えています。
人というのは…年齢を重ねるにつれて、知らないことが恥ずかしい、といった感情、つまり…プライドが邪魔すること、も多かったりしますよね。
僕自身がプライドが高い人間だったからこそ言えるのかも知れませんが、基本的には…「プライドは役に立たない」と思っておいた方が良いと思います。
その理由は…謙虚さを無くしてしまう可能性があると思うし、プライドをきっかけに学ぶことってほぼ無い、って僕は思うからです。
「自分を曲げないこと」よりも、大切なのは「学ぶ」ということ。
「プライド」と「学び」は相反する関係性、というのが僕の理論です。
「学び」とは…題名と同じで「知らないことを知る」ことです。
そんなの当たり前って思うと思います。ですが僕は…当たり前だから簡単だと思ってはいなくて、割と難しいことだと捉えています。
それは…人には感情があるわけであって、誰に対しても素直な気持ちになれるわけではない、と思うからです。
何かを吸収する際には…必然的に柔軟でなければなりません。
少しでも自分の思考が邪魔をすれば、意見したくなると思うし、そういう心構えだと「学ぶ」ことは、難しいのではないでしょうか。
なので、素直に「学ぶ」為には…早い話しがプライドを捨てることが得策、だと思うわけなんです。
仮に自分が正しいという気持ちを多少持っていた場合でも…大事なことは、プライドを露わにしないこと、なんだと思います。
「他人の主張」と「自分の主張」を擦り合わせることができる人、そういう人が自分のことを「客観視できる人」だと思うんです。
そこの部分を理解できる人になれたら…どんどん新しいことを知り、素直に学び、成長することができる。
ということが、「学ぶ為にはプライドを捨てる」を主張したかった理由です。
「知らないことを知りたい」と素直に言える人間こそ最強。
というのが、未だに僕の自論です。