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退職しました、昨日。

2020年1月31日、超早期定年退職をしました。(FIREですね)

中学生の頃、高校受験を頑張りました。
県内では評判が良い高校に入学できました。
高校生の頃、大学受験を頑張りました。
関西では評判が良い大学に入学できました。
大学生の頃、就職活動を頑張りました。
某メガの結構良いIT企業に入社できました。

でも最近は学生の頃みたいに頑張れませんでした。毎日8時に起きて15分のバス通勤で18時には家に帰ってこれて有給もすんなり取れてボーナスもまあまあ貰えたのですが。週末は飲み会が楽しかったのですが。同期も先輩も嫌な人がいなかったのですが。何も仕事していないのに最後にでかい花をくれた素晴らしい人たちだったのですが。普通の生活を過ごせそうだったのですが。

人生を登山し過ぎたとも言えます。毎回毎回目標という名の山頂目指して山に登りました。道中険しいタスクを時間管理を忘れずにこなしながらです。登頂に成功したらまた新しい山に登りました。たまに登坂車線を利用しました。ある日、遭難しました。下山してみました。なぜこんなに登山ばっかりしてたのでしょうか。確かに楽しさや充実感があった山もありましたが。でも草原を散歩してみようと思いました。僕は儒教より道教派でした。孔子君しか知りませんでした。

まあまあ良い会社を辞めた僕の選択は間違いなのでしょうか。

いや、僕はそうは思わない。僕は嫌だ。平手友梨奈脱退しましたやん。

米津玄師君と菅田将暉君が、『間違いさがしの正解の方じゃ出会えなかった』と仰るように、間違いだったからこそ出会えるものがあります。でも逆に言いますと、正解の方だったとしても正解だったからこそ出会えるものもあるということです。つまり、間違いか正解かなんてどうでもいいということですね。どっちを選んでもどんな選択をしても、そこでしか出会えない人と経験があります。だからこそ、どっちでもいいからこそ自分の思いに従って選択を重ねたほうがいい。出来事を振り返ると、結局『過去』は良いものとなります。どんな経験も、解釈次第だからです。ニーチェも言ってます。でもこれは、『今』に満足できていないとこうは思えないのです。なぜなら解釈をするのは『今』だからです。『今』に満足できれば、今解釈を行って頭に蘇る『過去』、今想像して頭に浮かぶ『未来』の全てが良いものとなります。『過去』が『今』を規定するというより、『今』が『過去』と『未来』を規定するということです。過去の後悔や未来の不安は今の感情です。今があって全てがある。つまり、今この瞬間、自分にとって幸せである選択をし続ければ結構良い人生になります。僕は今ワクワクしているのでこの選択をして良かったと思っています。この会社に入って良かったと思っています。過去に自分がしてきた選択を肯定できています。あの時あの選択をしたから良い友達と先輩に出会えたからです。でももし今が苦しくても、それは将来達成したい理想や守りたいものがあるから、のような思いがあるのならば、耐えて進む道もカッコ良いなと思います。その思いに嘘がないのならばですが。本田圭佑君もよく言います。現状に満足するなと。本田圭佑君のような夢や熱意があれば未来に向かって走り続けられると思いますが、全員がそんなに強い人間ではないのです。

最近、熱意がありませんでした。入社前は結構やる気があったのですが。振り返ってみると学生時代もアツアツの熱意はありませんでした。中途半端な熱意だったけれど頑張ってこれたのです。けれど今回はいつもと違いました。理由はいくつかありこれが一番の理由みたいなものは無いと思います。色々な要因が重なり今回の退職という決断に至りました。

小さい頃から人の目を気にしていました。人間関係の構築や勉強も愛想笑いも、心の何処かで友達や同級生や先生や親や兄弟の目を気にしていたからこそ頑張れた部分があります。他人とすぐ比較していたからです。学生時代は普通人間でした。普通に学校に行っていつもの友達のグループで会話をして勉強をして部活をしました。目立つのが嫌でした。あの人からこう思われたらどうしようとかすぐ考えていました。だから、何事においても普通よりちょっと上を常に意識していたのです。普通だといつ真ん中から落ちるか不安だったから、安全なちょっと上を目指していました。大学生の頃、色々な人や本との出会いで他人と普通を意識することは少なくなりました。選択肢は1つではない、線路はいくつもあるということに気がつきました。自分にとっての成功や幸せを再定義してみました。そんなことをした結果、会社員になってから自己中が極まり勉強にも力が入らなくなり社会不適合者になれたとも言えます。同期が仕事を頑張っていても研修課題が遅れていても誰かの話に自分だけノーリアクションであっても、危機感を覚えなくなっていきました。そもそも何故会社に入ったのかですが、それは僕がケチだからです。新卒という有効なカードがあるのだから使わないともったいないと考え、一回やってみようと思いました。しかし、予想より早く飽きてしまいました。大きな企業で働いていることは、信頼を得やすかったり人脈を広げやすいなどのメリットがあると思うけれどデメリットと比較した結果、答えが出ました。

頑張って頑張って何を得ようとしてるのかわからなくなりました。何の為に頑張っているのか時間を使っているのかわからなくなったのです。これは僕がやらなければダメなことなのかと。そこまで頑張ってもいないけれど、早起きは頑張りましたよ。頑張って勉強して仕事ができるようになって結果的に誰かの役に立ったり褒められたりするのはもちろん嬉しいのですが、会社員として誰かの役に立つのではなく、役割に囚われず習慣に囚われず他者に囚われず利潤に囚われず、1人のただの人間として、誰かの役に立ちたいなと思いました。もっと身近にもっと自分らしくもっと効率的にそれを実現できる方法もあるんじゃないかと考えました。組織に依存しなくても必死に自分の価値を高めようとしなくても、自然に付いてくるのではないかと。価値なんかなくていいんじゃないでしょうか僕たちは商品じゃないんだから。

毎日同じ時間に目覚ましに起こされるのも嫌でしたね。何故、あんなうるさい奴に時間を支配されなければいけないのでしょうか。毎日同じ時間にご飯を食べ、同じ時間に自席に戻るのが嫌でした。家畜じゃないです。僕は出荷されません。毎日同じような生活を繰り返して何をしているのかよくわかりませんでした。労働と消費ばっかりしていますよね。永劫回帰。どうせ繰り返すなら、もっと自分が面白いと思える方が良いなと思いました。自分がどんな状態で生きてると幸せかと考えた時、これではありませんでした。もし、頭の上に「寿命のカウンター」が表示されていたらこの生活をもっと早く辞めていたでしょう。

週末を楽しみにしてしまうのが辛かったです。ある程度の幸せを得るために生きるのが嫌でした。もっと心の底からワクワクしたかったです。僕の弱点の1つに生活体力がなさ過ぎるというのがあります。何かに体力を使うと休養日が必ず必要になります。週5で働くと残りの2日の内1日は活動できません。だから今の生活を辞めて、「緊急でない重要なこと」に思いっきり時間を使ってやろうと思いました。週5日朝から晩まで自分の時間を捧げてまでお金が欲しいとも思わなくなったのでサラリーマンを辞めました。

漫才をしたかったです。双子の弟と。漫才以外でも、何か熱中をしたかったです。今までは自分の弱みを無くしていくことに目がいってましたが自分の強みとコンプレックスを活かしていこうと思いました。弱みを無くしてきれいな五角形になってもそれは大量生産可能です。他よりはとんがってる部分と凹んでる部分を活かせば自分を生かせるのではないかと思います。

晴れの日は野球をしたかった公園で。
晴れの日はギターを弾きたかった野原で。
(阿部しんのすけ+野原しんのすけ)÷2みたいな。

時間を気にせず土日のような制限ある暇ではなく制限のない暇を作りたいです。1ミリも月曜日がもうすぐ来るとか思いたくないですね。明日仕事あるから今日を楽しめないとか僕は嫌だ。平手友梨奈脱退したやん。次の時代を創る、誇り高き大いなる暇人になるんだ。

いろんな人と喋りたかったです、役割を持たずに。先輩後輩同期友人親戚通行人駅員のような括りではなく、ただの人間同士で喋りたいですね。ボードゲームをしながらカードゲームをしながらテレビゲームをしながらダーツをしながら適当に喋りながら、そんな場所があれば最高です。

お金はどうするねん、そんな声が聞こえてきます。物欲もプライドもないから最低限の生活ができれば良いと考えています。バイトで充分です。プライドを守るために生きることはもうやめです。

そんなに社会は甘くないぞ、そんな声が聞こえてきます。「好きでもない事を嫌々やって成功できるほど世の中は甘くないぞ。」これは、ツイッターで見つけた文章です。なるほどなと思いました。成功の定義は人それぞれだと思いますが、『7つの習慣』の作者であるコヴィーさんは、成功とは「弔辞で言われて嬉しいこと」と言っています。自分のお葬式を思い浮かべてみる。あなたは、自分のお葬式に来てくれた人がどんな表情でどんな言葉をかけてくれたら嬉しいと感じるでしょうか。怖いのはその瞬間がいつ来るのかわからないことです。100日後に死ぬワニのように。やりたいことはやった方が良いです。

逃げてるだけや、そんな声が聞こえてきます。逃げるのは悪いことではありません、人に迷惑をかけなければなんでもいいです。自分にとってより良い選択をしているだけです。

環境のせいにしてるだけや、そんな声が聞こえてきます。選んでみた環境に自分が適応できないこともあるでしょう。自分が変われば良い話なのだけれど難しいこともあるでしょう。人それぞれ輝きやすい場所が必ずあると思います。場所の問題です。ありのままの自分を出しやすい環境を作りやすい環境があるはずです。得意分野や好きなことがその1つだと思います。いきなりそんな場所を見つけることは難しい。とりあえずどこかの場所で過ごしてみる。そこでまず、気づくことができるのではないでしょうか。そして新たな選択肢が出てくるでしょう。僕は就活でIT企業で働くことを選んで入って気づいて今回の選択が出来ました。

ナイーブリアリズムがすごい、そんな声が聞こえてきます。あの人の考え方は偏っている、愚かだ、と思う人こそ愚かだ、と思う人こそ愚かだ、と思う人こそが愚かだ、終わりません。一生ブーメラン。流血が凄い。ブーメラン投げずにともに寛容に生きましょう、十人十色。

社会を何も知らん23歳が何言うてんねん、そんな声が聞こえてきます。
社会適合者は本当に凄いと思います。これは、僕がたまたま社会人というものに適応できなかっただけの話です。僕も仕事が楽しいと思える人になりたい、楽しいと思えることをしながら生きていきます。会いたい自分に会いに行ってみる、よくバンドマンが叫びます。一旦プライドを頭から消してみます。本当に欲しいものは何なのでしょうか。全部欲しいと思って欲しくないものに囲まれていないでしょうか。


 というわけで、マヂ自己肯定最高デス。

自分をあるがままの人間として見てもらえると、人は最大限の力を発揮すると思います。

色々書いたのですが、辻褄の合う原因を無意識に探してもっともらしいストーリーを作っているに過ぎません。

でもそれで良いのです。星が綺麗に見えるから。

いや、星は大抵いつでも綺麗やねん。そんな声が聞こえてきます。

その通りです。綺麗なのは星じゃなくて、今、夜空を見上げたあなたの心だからです。

決まりました、バイト探そ。

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