”音”を楽しむ人たち
私は少しばかり、音楽家や吹奏楽部やピアノの調教師や、そんな音楽に携わる人たちに尊敬の念を抱いている。
単に誰にでもできる訳ではない技術を持っているということだけではなく、誰かを魅了することの出来る人たちだからである。
それならスポーツ選手やアーティストもそうなのかもしれないが、その人たちにはないカッコよさや綺麗さや聡明さがあるのである。
時にその人たちが奏でる”音”は、感動、驚き、楽しさ、哀愁を与えてくれる。フルートもユーフォもトロンボーンも。
”音”を楽しむで音楽とよく言うが、それらの音を奏でるには努力が必要なのだろうとよく思う。当の本人たちはもしかしたら音を楽しむ暇がないのかもしれない。
だが音を磨く、音を練習するなどではどうもしっくりこない。
ならばこう考えることにしよう。
彼らは彼女らは、私たちに”音”を通じて楽しみを与えてくれると。
誰かのために音を磨き、練習し、幸せを提供してくれていると。
誰かのために何かを行う。そんな当たり前のようで一番大切なことを、彼ら彼女らは教えてくれた。
私も、今の人生を楽しむとしよう。
人生という楽譜の上では、私たちが音楽家だ。
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