労働に対する意識の変化、過渡期の新社会人



ここ数年、生活の優先順位に変化を望む声がよくあがるようになったと思う。
仕事より趣味、仕事より家庭。働き方改革。
もっと休みを。健やかな生活を。充実した毎日を。

海の外には日本より短い労働時間で高い生産性を誇る優秀な国が多いと憧れを抱く人は多いだろう。
私はそうだ。外の国に憧れる。実際のところどうかは知らない。外で働きたいわけじゃない。日本が私の憧れる外のようになればいいと投げやりに思うのだ。
実際はならない。
ならないから夢想するだけ。
憧れの国も実のところ九割方想像の産物だ。良い側面しか私は見ていない。

私のような人は多いと思う。
理想を知った、立場も役職もない、ただの若い人間。働き始めたか、これから働く若い人間。働き方を変える、その過渡期に社会へ足を踏み入れた若い人間だ。
彼らは昨今の労働に対する意見に熱心に耳を欹てている。

私は正社員になったことがない。働き方改革の意識が始まる前、漠然と不満を持ちながらも社会全体での改善策がなかった時代を私は知らない。
既に働いている先輩社会人たちはこれまでの労働を知っている。実体験している。故にこれからは改善に向かうと働き方改革に希望を持ったかもしれない。もちろん働き方改革に負の側面が全くないとは思わないし、割を食っている人もいるかもしれないが。

過渡期の若い人間は、労働の実体験より先に意識に変革が齎された。今の働き方は相対的に良くないものだと理解したのだ。良くないとわかっていながら、働きたいと思う人間がいるのだろうか。
憧ればかりが先行して、未だそう変わらぬ社会に足を踏み入れる勇気は並みのものではないと思う。
「甘ったれだ」「これだから若者は」
いくらでも言われそうなことは頭に浮かぶ。
それでも労働に対する忌避感は強く、正直に言って働きたくないとまで思ってしまうようになった。

現状は理想と現実のギャップが大きすぎる。
理想と現実の落とし所が、企業側と新社会人とではあまりに違うのだ。

私はこれから社会に馴染めるのだろうか。
正直なところ、自信がない。


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