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雑談の小径008

008
父の日記

父が他界して3年余り、実家の断捨離がじわじわと進んでいる。
だが、長年家族で住んできた家、母の思い入れの強い物もまだまだたくさん箪笥や押し入れや物置きの中で出番を待ったまま、なかなか日の目を見ない。

父の、脳梗塞で倒れて書けなくなるまでの数年間の日記が残されていた。
何故か全編英語で書かれているそれは、母は読めないから読まないといい、姉は英語は分かるがやっぱり読まないという。

語学に堪能だった父、子供の頃は英語を覚えるために英語で日記を付けろと言われていたので、たぶん父も忘れないように訓練を兼ねて英語で日記を書いていたのだと思うが、読まれたくなかったかもしれないと思うと、やっぱり深く探る気にはなれず、何となくパラパラと拾い読んでみた。

日付とその日の天気、最低気温と最高気温。
それから1日の様子、何をやったか、何が起きたか、テレビを通した世界に思うこと、そんなような内容が毎日書かれている。
高度成長期に乗って仕事人間だった父、60代中盤までなんだかんだ忙しく働いていたから、うちにいるようになってずいぶんつまらない思いもしたのかもしれないが、日記からは穏やかな日常が読み取れた。

1日だけ日本語で書かれた箇所があった。
私の結婚式当日の日記、ここだけは慣れた言語でしか表せなかったのか後に家族に読まれることを想定していたのか、最大級の喜びとして表現されていたので、そのページだけ貰うことにして、その日記とさようならをした。

人の想いが詰まっているものはとても処分しづらい。でも、自分とて何か残したとしても100年も経てば誰の記憶にも残らないんだろうなと思うと、まあそんなもんだなーと。
気持ちの整理だけして物は残さない、のが断捨離の基本。


日記の裏表紙に貼られていたサミュエル・ウルマンの詩。
彼はいつまでも理想や情熱を持ち続けていたかったのだと思う。

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