自己紹介 吉田雄太とは?
だいぶ遅くなりましたが、初投稿になります。
7期生の吉田雄太(ヨシダユウタ)と申します。
今回は私について書いていきたいと思います。
経歴
1993年4月28日生まれ 新潟県新潟市出身
高校は新潟商業高校を卒業
にいがた製菓・調理師専門学校へ入学
専門学校卒業後パティシエとして東京へ就職しました。
パティシエ時代
実家が飲食店だったこともあり自分も店を持ちたいとずっと思っていました。
その中で調理師かパティシエかで迷いパティシエの道を選びました。
20歳での東京への上京、職場は東京一の来客数を誇る店舗でした。
朝5時半スタートで店頭に並べるケーキをオープンまでに仕上げてオープン後は店頭のケーキの補充分を作ったり、焼き菓子のストックをひたすら作ります。
そして最後に明日の準備をできる範囲で進めます(生ものなので基本当日に作らないといけない)
終わるのは23時ぐらいでした。
覚悟はしていたが異常な生活だと感じました。
当時の私は太陽を見ない生活をしていて、
どうやったら休めるのか?通勤中に車が轢いてこないかなと願いながら自転車を漕いでました。
結局パティシエは半年で辞めてしまいました。
どうやって続ければいいのかがわからなくなりました。
でもパティシエ時代に得た能力はそれ以降にかなり使えるものばかりでした。
それについてはまた今度書きたいと思います。
経理事務時代
パティシエを辞めて飲食系のバイトをちょっとやりましたが、
違う職種い変えようと思い商業高校出てるし事務やるかと思い空調会社の事務として就職しました。
小さな会社で従業員13名の企業でした。
定時で帰れて、現場の職人さんとも良い関係を築けていてとても良い会社かと思いきや直属の上司のおばさんが大の男性嫌いで自由人(会社のお金で自分の好きなものを買ったりしていた)
なので職人の方達とは一切会話がしたくないそうで私がそのパイプ役になっていました。
とても効率が悪く、大人ならそこは我慢して話してくれと思いながら丁度その時期に結婚と出産があり給料的にも生活が難しいと思い転職を決意しました。
営業時代
給料面を上げるとなるとやっぱり営業しかないかと当時の私は考えました。
包装資材の営業をしました。
食品を包装する袋や工業製品を包装する袋をメインに営業してました。
新規営業や既存営業があり、コツコツと日頃から動くことによりのちの成功につながる体験がここでは味わうことができました。
忘れた頃にお客様から連絡が来たりした時に動いてて良かったと思えることがありました。
この会社を辞めるきっかけは支店長です。
ハラスメントがすごい方でした。
ターゲットを周期ごとに変えて、パワハラ、セクハラ、モラハラ…
こんな人間もいるのだなと思いました。
総務時代
そしてサービス残業などが多かった営業時代。
やはり家族との時間を作りたい、子供と平日でも遊んでいたいと思いエネルギー系の会社の総務に転職しました。
総務なので会社内のことを全て対応するような感じでした。
私は管理などするのが得意だったので会社の社有車の管理やマンションの管理、社内施設管理を任せてもらいました。
100年以上の歴史のある会社でちょっと古い風潮がちらほらありました。
しかし、働きやすい職場ではありました。
ここで働いて3年目の時に私のプライベートで問題が発生しました。
離婚です。
正直、子供を失うダメージが大きすぎて仕事を辞めました。
そして現在に至ります。
店舗コンサルタントとの出会い
そして私は全てを失って路頭に迷っている時に店舗コンサルタントという職業を知りました。
多くの店舗を救うことができ、多くの人を救うことができる素敵な仕事だと私は思いました。
そして私は『働き続けたくても職場の環境や上司とうまくいかなくて困っている人』を救えるコンサルタントになると決めました。
今までの私のように困っている人は沢山いると思いますし、今後も現れると思います。
そんな人達から「会社を辞めようと考えていたけど、吉田さんがコンサルに入ってくれて仕事を続けることができました」と言われるようなコンサルタントを目指します。
これが私の目指す店舗コンサルタントです。
私のことが少しでも知っていただけたでしょうか?
かなり波瀾万丈な人生を送っていると思います。
思い描いていた30歳ではありませんでした。
しかし、このような環境に身を置くことができるのもこの人生のおかげだと思い全力で成長します。
これからもどうぞ宜しくお願いします。
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