私とKNICKSとバスケ

今年でファン歴29年目。
バスケ歴=KNICKSファン歴なのでバスケ自体も今年で29年目。
完全に自分語りだがだらだらと書いていく。

小2の終わりに親の仕事の関係でNYに住むことになったことがきっかけでバスケを知る。
それまで球技というと野球とサッカーくらいしかまともに知らなかったのでバスケは自分にとって未知のスポーツだった。
私にとって運が良かったのは91年にパットライリーをHCに招聘したことでKNICKSが強豪に返り咲いていた際にファンになれたこと。
そして、3年生に進級した際に仲良くなったのが通ってた小学校で4人しかいない黒人の男の子だったこと。
彼がガチめのKNICKSファンだったこともあり、日常会話の中で前日の試合のことやお昼休みに一緒にバスケをする機会が増えていった。
3年生時はブルズ絶頂の時代だったのでテレビをつければジョーダンがダンクしていてKNICKSはいつもジョーダンに苦汁を飲まされいた。
プレイオフもカンファレンスファイナルまでは行ったがブルズの前に敗れ去った。
94年宿敵ジョーダンがいない間にKNICKSはファイナル進出。
正直まだプレイオフの仕組みやらルールも曖昧だったがやっぱり地元チームが強いとみんな盛り上がる。
試合の夜はよくわからないながらもテレビにかじりついて試合を観ていた。
この時オラジュワンのすごさを思い知り、キャセールのいやらしさを目の当たりにし、オーリーというアウトサイドが上手いビッグマンの存在を知ることになった。
ファイナルで負けたことでリベンジというスタンスでKNICKSを応援するきっかけとなっていった。
このファイナルが第1のKNICKSにハマるきっかけとなった。

少し話を自分のことに戻そう。正直、ものすごく不器用なのでドリブルはかなり悲惨だったし、シュートもお世辞にも上手くなかった。しかし、自分は成長期が早く5年生になった頃には学校で一番大きい生徒になっていた。
小学生用の低いゴールであればリングを触ることが出来た。
こういうこともあってバスケは徐々にプレイをしても面白いものになっていたった。
小6の始め頃日本に帰国。
叔母がアメリカにそのまま住むことになったため、試合は定期的にビデオに録画したものを送ってもらえるという恵まれた環境を手に入れる。
日本の小学校でも1番か2番に大きい生徒だったため、体育のバスケではゴール下にいればブロックでレイアップやらゴール下のシュートは片っ端から跳ね返せたし、OFでもシュート下手でも直接叩き込めば関係なかったので楽しい生活を送れた。
中学に入り、スラムダンクにも影響されバスケ部に入部。
入部当初既に170cmあったので期待の新人扱いされていた。しかし、その後中学時代に4cmしか身長が伸びず徐々に周りに身長を抜かれていき、部活のバスケがそんなに楽しくなくなっていった。
中学2年から3年の春まで体育館が改装中だったこともあり、中学時代に出られた試合は1試合のみ。しかも引退試合が初試合という惨めな状況だった。
試合は親友がトリプルダブルに近い大活躍をしてくれたお陰で地区の優勝校に一番接戦を演じられたという最悪ではない形で終われた。
ちなみに自分のスタッツは0得点17リバウンド4ブロックだったらしい。てんぱってたので全然覚えてないw

中学でのバスケが完全に消化不良だった自分は受験に成功したこともあり強豪私立高校に入学。
1年の途中で古武術を取り入れたバスケを展開し始めたことで自分のバスケ観は大きく変わっていった。
特に体の使い方や捻らない動きというものの概念を知り、バスケの動きに興味を持ち始めた。
同時に弱小校出身だった自分はこの強豪校のバスケ部では選手としては完全にお荷物状態。膝が悪かったこともあり、選手としてと言うよりサポートメインにシフトしていった。
サポートするなら試合をとにかくたくさん観て知識を蓄えることが重要だったので、このときに秘蔵のNBAビデオ数100本が役に立ってくれたw

さて、自分のしょぼいバスケット選手生命はこの辺で終了。
この辺からバスケオタクYoshiが誕生w
まあ、趣味でシュート練や1on1なんかは一線引いた後もよくやってたけどねw
ちなみにこの頃の自分の武器はクイックリリースのスリーと1on1限定のフェイダウェイだった。

試合を観まくる生活と古武術の動きの研究をしていく中でシュートフォームオタクとしての目が養われていった。
流れをものすごく重視する視点を持つようになり、シュートの際のタメを気持ち悪く感じるようになった。
エースやキャプテンのシュート練に付き合って、塾さぼって夜遅くまで毎日数百本のシュート観てたと思う。
基本的に先輩や同期たちがすごかったからだが都大会や関東大会とかも体験することが出来た。
この高校入ったお陰で弱小校では絶対に体験できないことを体験出来たと思う。と同時に選手としての限界とかもあっさり見えてしまった。

そして、この高校で監督に出会えたのは今でも自分のバスケ観を形成した一番大きい存在だと思っている。
2000年初頭にロゴスリーを試合に取り入れたり、スリーポイントラインの1、2m後ろからのシュートを推奨したり、ストレッチ5を起用したりしてたんだからどれだけ先見の明がある人物だったか。

高校以降は完全に観戦メインのバスケオタクとなっていった。
99年ファイナルが第2のKNICKSにハマるきっかけとなってKNICKSの試合結果に一喜一憂するようになった。
大学時代はBS、CS、WOWOWなど観れる媒体全部に加入して家族でバスケを楽しんでいた。
この頃KNICKSはアイザイア政権で暗黒期だったので暗い話題が多かった。
2007年に就職した頃は仕事が忙しかったこともあり、バスケはスタッツとハイライト勢になってしまっていた。
再びバスケをがっつり観るようになったのは2011年に転職してから。
その頃にはウェブなんかで試合を観る方法が増えて幸せな観戦ライフを取り戻せた。

その後仕事が忙しくなったり、結婚したり、子供生まれたしてまた少しハイライト勢に戻ったりしてたが、去年くらいからまた時間が取れるようになってがっつり観れる幸せな環境を手に入れることが出来た。

ダラダラ書いてきたがこんな感じで自分はKNICKS好きになってバスケオタクになっていった。今後もライフワークとしてKNICKSの試合を観て生きていくと思う。

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