Vision Talkで話した(話したかった)こと #OAS2024
12月にacademist主催のOpen Academia Summit 2024にて、Vision Talkに参加した。90秒という限られた時間でなかなか話したいことも話せなかったので、ここで改めて紹介をと思い、久しぶりにnoteを書いてみる。
4年制学士課程に対する日本の誤解
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「大学に何のために行くのか」という問いの答えは人それぞれとはいえ、多くの学生(そして特にその保護者)の答えとしては、「卒業して就職するため」という回答が大半だろう。しかし4年制学士課程への入学動機が「卒業後すぐに就職」というのは、先進国ではおそらく日本(及び一部アジア圏)のみである。欧米(特にアメリカ)では、「大学院進学のために」行くのが4年制学士課程であり、就職したければコミュニティ・カレッジ(2年制)に行くのが普通だ。これがヨーロッパだと、非大学系の高等教育機関を選ぶことになるのが一般的だろう。
そして大学に入るとき、「文系・理系に大別され、学部・学科を決めてから入学」というスタイルは基本的に日本のみだ。そもそも「文系・理系」という学問分類自体が日本独自のもの(詳細は隠岐『文系と理系はなぜ分かれたのか』を参照)であり、これに対応する英語も存在しない。そして欧米の大学では、先にジェネラル・エデュケイション(日本では「一般教育」とも訳される)を学び、文理を問わず大学の学問の入り口の部分を2年ほどかけて一通り体験してから「専攻」を選ぶのが一般的だ。従って学士課程の基本は「広く浅く」であり、専門を突き詰めるのは専ら大学院に進んでから、ということいなる。
さらに日本では「入試」が過度に重視されるが、ヨーロッパでは複線化された中等教育段階のうち、大学進学用のものを卒業すれば無試験で大学に入学できるのが一般的であり、アメリカでも中等教育が単線型であるとはいえ、ごく一部の超エリート私学を除き、一定の成績基準をクリアすれば誰でも大学に入学できるのが普通である。ただし容易に進級できるとは限らず、アメリカの場合だと4年制学士課程の標準的な修了年数は6年とされ、各種統計もその前提で取られている。
このように、日本の「大学」に関する常識は他国とかけ離れている。では何故こうなったのか。それを研究するのが、私が従事する「比較教育史」という学問分野となる。
「大学」は何のためにできたのか
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もともと大学は、神・法・医の各専門職を輩出するために、中世ヨーロッパに誕生した。中世という時代において、これら3専門職に共通の素養がラテン語と数学・論理学だったために、このラテン語を学ぶための「下級学部」が、3専門職の養成課程の前の段階として設定された(詳細はラシュドール『大学の起源』上中下を参照)。従って3つの専門学部が現在の大学院、下級学部が現代の学士課程に相当することとなる。特に下級学部で学ぶ科目群は、3つの「自由人階級たる専門職」= liberal profession になるための技芸ということで、後に liberal arts と名づけられた(詳細は Kimball, Orators and Philosophers を参照)。
では「研究」はいつ大学に組込まれたのか。上記の説明では研究という語は出てこないが、大学はそもそも「研究」(research)という概念が登場する前から存在しており、当初の使命にこれは組み込まれていない。近代的な研究概念の登場は印刷革命まで待つこととなり(詳細は吉見『大学とは何か』を参照)、大学にこれが組み込まれるようになるのはカントによる議論以降である(詳細はカント『諸学部の争い』を参照)。そして大学における「研究」は近代以降、研究者養成、さらに中世以来の専門職養成と並行し、大学の使命の1つとなって現代に至っている。
このような歴史的理解に基づくと、大学が行う「教育」は研究者養成および専門職養成であり、学士課程はその前段階に当たる。実際にヨーロッパ大陸各国では大学の近代化以降、リベラル・アーツは中等教育の最終段階に移され、英米においては「大学」(university)に組込まれつつも概念的・機能的に異なる「カレッジ」(college)がその役割を担ってきた。対して日本の場合、欧米から移入した「大学」を「大卒社会人の養成機関」として捉え、「社会人基礎力」なるものの養成を大学に一任している。これは肉の専門店に野菜を売らせるようなもので、できなくはないが専門性を活かせず、効率が悪い状態を生み出している。現代の大学教育に関する諸問題の根源は、すべてここにあると言っても過言ではないかもしれない。
研究を通して実現したいこととその障壁
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このような議論は、明治維新後の日本が教育制度を海外から移入してきている以上、まずは海外の教育の歴史に関する正確な知識が無いと展開できない。しかし、ここで重要なのは「正確な歴史的理解」であり、「海外はこうだから日本の教育もそれに揃えるべき」という出羽守的な議論でもない。とにかく重要なのは、「正確な歴史的理解」を基に問題の根源を探り出し、これを基に日本に合った、日本独自の解決方法を探ることだ。
上記のような議論は、初等中等教育の議論においては(「フィンランドのここが素晴らしいから導入しよう」のような、正に歴史的理解を無視した出羽守的な議論も未だに多いものの)ある程度普及している。これは日本の大学の教育学研究が、初等中等の教員養成と密接につながりながら展開してきたことによる。しかし高等教育史研究は、正にこの理由から後れを取っている状況にある。
高等教育研究にとって現在致命的な点は、上述の理由により、ほとんどの大学に「高等教育について教える授業」が存在しないという点だ。教員養成に関係なく、学生に教えたところで学生生活を左右するようなことにもならない高等教育史研究は、政策上重要でも、これを学生に教える理由づけに乏しく、日本国内において高等教育史を専門に教えることができる教授職及び授業は、片手で数える程度しか存在しない。
加えて高等教育研究は、現実の教育問題から出発しているという点で応用研究である。しかし歴史というのは原因の究明を行う学問、すなわち解決策の材料を提供するにとどまる学問であるという性格を有し、この意味では基礎研究とも言える。従って高等教育史研究は、その立ち位置の中途半端さ故、科研費以外のグラントの対象となりづらい。
このように、高等教育史研究はグラントの少なさとアウトリーチのチャンネルの少なさ、そしてこの2点の結果としての後継者不足という三重苦を抱えている。まずは Vision Talk を聞いていただいた方、またはこの note をご覧いただいた方に興味を持っていただき、寄附やトークイベントなどで少しでもアウトリーチの機会を増やせればと願っている。