那智勝浦町昔懐かし話 第52話

 那智勝浦町昔懐かし話
第52話『生節』
 
はい、元旦に第51話をアップして早7日経ってしまいました。月日の経つのは早いですね。遊んでた訳ではありませんぞ。1日は所用で出かけ、2日は年末に買ったギターの修理、3日は仕事、そして4日から昨日までも仕事でありまして、結構忙しい年始でありました。でもでもその中で、さて第52話は何にするか記憶装置の中をかき混ぜながら考えてたわけであります。52話は、食べ物の話であります。あかん、また前置き長なってもうた~。全国1千万のタケちゃんファンにまた怒られる~。分かりました。でわでわ第52話であります。
 
「じゃあねナカシャ、後でユミネの前ね。」「うん、タケちゃん、タコちゃん後でね。」
小学生の時の話である。当時の小学校は土曜日は半ドンであった。僕は、午前中の授業をきっちりまじめに受けて(ほんまですよ)終了後タコちゃんと、ナカシャと帰る。
そして、昼ご飯食べて、吉本新喜劇をテレビで見て、愛車のライダー号(いつも書きますが自転車ね)でユミネ(駄菓子屋です。なんかカタカナで書くとおしゃれやなぁ~。ルミネみたいで)へ行ったり、ナカシャとこで遊んだりしていた。(ナカシャとこは酒屋なのでいつもサッポロポテトやファンタがおやつに出るのである。それ目当てでナカシャとこなのである。)「おかあちゃん、ただいま、コロッケこうたある。」僕の土曜日の昼ご飯は、新田商店のコロッケ(特別何がどうと言うことはないのだが、うまいのである。)と、ごはんかチャルメラ(インスタントラーメン、今でも大好きであります)であつた。
「ああ、タケちゃんお帰り、コロッケと生節もあるで」とお母ちゃん。「ほんま、生節も食べるわ。うまいもんね。」「そこ置いたあるからたべといて、お母ちゃんちょっとでかけるさかいに。」「ああ、分かった、食べ終わってからナカシャらと遊んでくるわ。」「そうかん、5時の鐘なったら帰ってこなあかんで」(うちのお母ちゃんは、5時のチャイムのことを鐘と言ってました。)皆さんは生節って知ってるだろうか。今でも地元のスーパーとかで買えるので知ってる方は多いと思うが。僕のパソコンのアホーで調べると、生利節(なまりぶし)のこと。生の鰹等を解体し、蒸す、ゆでる等の処理を施した一次加工食品。カツオだけでなく、マグロ、サバも使用する。江戸時代以降に製造が盛んになる。現在は静岡、鹿児島、三重、高知、和歌山、千葉等の県でカツオやマグロの水揚げが多い周辺で製造されている。全国的にカツオの生節が有名だが、僕が書きたいのは、マグロの生節である。勝浦でもビンチョウマグロの頭を落とし、3枚におろし、釜ゆでしたものを売っていたりした。今も売っているが。水分を40パーセント程度含み、保存期間に制限があるため、長期保存が出来ない。(今は真空パックの物も売っていて保存が利くようになった)調味料等使ってないので、包丁で輪切りして醤油をかけて食べたり、煮魚を煮るみたいに煮て食べたりする。 僕はいつも醤油ぶっかけだが。このまぐろの生節、僕の昼ごはん(もちろん晩ご飯でも)良きご飯の友であり今も大好きな食品である。興味ある方は、インターネツトで「マグロの生節 那智勝浦町」でお調べください。カツオの生節もええけどマグロの生節もうまいで~。
第52話終わり

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