那智勝浦町昔懐かし話 第93話
第93話『思い出の金魚売りのおっちゃん』
はい、相変わらず暑い日が続きますが皆様お元気ですか。今世間では総会という物の時期でタケちゃんの那智勝浦町でも昨日はここで、今日はここ、明日はここでとあちらこちらで総会という物をやっているのであります。タケちゃんの本業の観光協会も明後日の5/26に平成29年度那智勝浦町観光協会総会という物を行います、今最後のチェックをやっていて何とかこのでっかい壁を我々事務局が乗り切ると準備しているわけであります。必死なんであります。えっ、そんなときにこんなエッセイ書いていてもええんかって。まあ、あわてなさんな。タケちゃんは、な~も恐いもんなか。まかしんさい。(何故か博多弁、うちの母ちゃん博多の人です。タケちゃんは和歌山と博多のハーフです。)まあ、またまた前置き長くなりましたが、今回は勝浦小学校の低学年の時の話ですよ。でわでわ第93話いってみよう。
「ナカシャ明日の日曜日遊べるかん」「うん、遊べるで、タコちゃんは」「遊べるで~なにする~」「そうやな~、金魚すくい、いこら~、なあ、タコちゃん、ナカシャ」「ええやん、俺金魚欲しいと思とってん、水槽こうたばっかりやし」とナカシャ。「俺とこも池に金魚ふやしたいさかな。いこいこ。」とタコちゃん。「よっしゃ決まりやのう。明日タコちゃんとこへ2時にしょうか。ええかん」と僕。「あいあいさー」とナカシャとタコちゃん。宿題やるのは遅いが、給食と遊ぶ内容決めるのは早い。我らは仲の町3バカトリオ。私立勝浦幼稚園を優秀な成績(成績いうんかな。僕はあまりに悪かったので1年目は入園を断られた形跡の持ち主であります。面接の時先生に鼻くそ付け廻ったらしい。で、入園拒否)で卒園した3人は、那智勝浦町立勝浦小学校に入学し、よせばいいのにタケちゃんは、入学式の時、よその幼稚園から入学してきた浜地のエー君らに、「俺が今日から勝浦小学校1年の番長や」と喧嘩売り込み、なぐられて帰ったアホであります。しかしそれからは、おまえらオモロイ奴やとエー君らとも仲良しになった。、そして今2年生である。当時勝浦には、新婚旅行や家族旅行で観光客がわんさか来ており、今のバスターミナルの近くのマグロ三昧というお店の隣に駐車場になっているところがあるが、当時はここに立派な壁の建物があり、その壁に面して毎週日曜の午後、金魚すくいのおいちゃんが、軽トラに乗ってやってきたのである。僕の記憶には、おっちゃんは、40歳位で顔の色が薄黒く、角刈りで、左のほほに大きなほくろがあり声は、だみ声で、「いらっしゃい~、頑張ってすくてよ~」と言うのが口癖だった。僕たちは買ってもらったばかりのライダー号に乗りタコちゃんとこからおっちゃんとこへ行った。おっちゃんは近くに軽トラ停めていて、その側に長方形のステンレスを貼り付けた金魚すくいようの桶みたいなのを置いて、その後ろにイスに座りお客が来るのを待っていた。僕らは側にライダー号を並べて停めて「売って~、おいちゃん、金魚すくい売って~」とおいちゃんにそれぞれ100円を渡した。(勝浦の子供はお店で何か手に入れたりするときは、売って~と言っていた)
100円で5回金魚すくいが出来る。桶の中には、黒や赤色の金魚や出目金、そして鯉の小さいのが元気に泳いでいる。おっちゃんから、ぽいを受け取り、ステンレスで出来た金魚受けの入れ物に水を半分ぐらい入れ、ぽいを上手に金魚に近づける。おっちゃんは「ようけすくてよ~」とだみ声で応援する。
僕らは1回で1つのぽいがやぶけるまで大体3匹くらいすくう。だから終わったら約15匹くらい入れ物の中に入っている。すくった金魚は持って帰れる。全然すくえなかったもんにも、おっちゃんは、金魚を5匹くらい袋にいれてくれる。気前のええおいちゃんだった。時には家族連れが、又あるときはカップルがキャッキャ言いながら金魚すくいを楽しんでいた。僕の家とタコちゃんの家には中庭があり小さいが池があった。2人ともそこで金魚や鯉を飼っていた。ぼくとこの池にはその当時取ってきた錦鯉が大きくなり何匹も泳いでいた。今も何匹かいる。ナカシャとこは池はないが大きな水槽に金魚を飼っていた。僕らの成長と時代の流れでいつの間にかおいちゃんの姿も消えてしまった。毎週は行かなかったが、1ヶ月に1回くらいは僕らは行っていた。今花火なんかの金魚すくいを見るとあのおっちゃんを思い出す。僕ら3バカトリオの小学校低学年の頃の懐かしい思い出である。これも良き那智勝浦町の景色であった。
第93話終わり
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