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『東京中野ドタバタ日記』 第二章 専門学校 4
第二章 専門学校 4
僕らは、2年生になり、坂本荘での生活も少しだが慣れてきた。4月の頭にビールとかジュースを買っている橘屋とう酒屋の入口に「バイト募集、学生さん歓迎。夕方4時から7時まで、配達のお仕事」とあった。僕は、生活費がもう少し欲しかったのと、丸井でビデオデッキを買いたいと思ったので迷わずバイトを申し込んだ。学校は3時までなので楽勝で間に合う。また月、水、金の週3日、途中休憩もあり好きなお菓子とジュースが飲める。仕事は、店の自動販売機の補充から始まり、近所は台車での配達。遠くの家には、ご主人運転の車に乗せてもらってそこの場所への配達助手。マンションなんかエレベーターがあればいいが、なければ大びんのビール1ケースずつ階段を上ることもざら。かなりしんどい場合もあった。近くへの配達もアスファルトの良い道ばかりでない。でこぼこの道もある。僕は最初何回かビール箱ひっくり返してしまって割ってしまったこともあった。怒られたが、バイト代が少なくなることは、なかった。僕の相棒は、斉藤という大学生で同い年の男だった。広島出身で好青年だった。
1年の初めからやっているので、先輩で当然僕より仕事ができた。休憩の時はいつもバカ話をしていた。
僕は専門学校を卒業するまでバイトを続けた。その当時はビデオデッキが売り出された頃で、VHSとベータがあり、僕はソニーのベータのビデオデッキ当時20万を20回払いで買った。友達でビデオデッキ持っている奴もほとんどいなかった時代である。その後ベータは生産されなくなり、ビデオデッキ自体もなくなっていった。だから金指らが良くレンタルビデオ借りてきて家に遊びに来た。2年生も6月になり金指と成田は日商簿記2級試験を再受験し見事合格した。合格が分かった夜、僕の部屋で、「金指、成田2級試験合格おめでとう、やればできるじゃん会」を惣菜皿いっぱいとビール、大久保さんが差し入れたサントリーウイスキーなどで盛大に夜中まで繰り広げ、成田は、「僕飲めませんよ。飲めませんよ。」と言いながら、ビール缶5本あけ、金指もいつも、にこにこしているのだが、それに加え良くしゃべりだし、皆にうるさい、うるさいといわれながら酔っぱらった。そのまま皆雑魚寝で泊って行った。そして夏が来て夏休みに、また1か月ほど僕は和歌山へ帰り、2月期を迎え就職活動と1級試験の授業に僕たちは力を入れた。金指は、家業のペンキ屋をつぐことになっており、春日は会計事務所就職を目指した。成田は、家電が好きだったので実家の大森にある家電店を受けることになっていた。僕はというと、当初専門学校を卒業すると田舎へ帰り家の仕事を継ぐ予定だったが、2年位外で働くのもええんじゃないかとお父ちゃんとおじいちゃんの意見で東京で職を探すこととなった。僕は10月位から春日同様会計事務所の面接を受けたが、やはり日商簿記1級持ってないと厳しく、ことごとく落ちた。春日も同様だった。そのうち成田も家電店に内定が決まり、春日も普通の会社の経理職に内定が決まった。僕は、たまたま就職情報の載っている雑誌で大手レコード店が正社員を募集しているのを見つけ面接に行った。場所は新宿紀の国屋書店の8階の事務所、面接と簡単な筆記試験、3日後に合格の電話があった。
僕の就職が決まったのが12月だった。僕が一番遅かったが、その日は恒例の坂本荘での「僕たち就職してしまうもんね。おめでとう会」をまたまた盛大に橘屋で買ったバドワイザーやウイスキー、そして野菜と肉たっぷりの鍋で、これまた夜中まで行い、ふとんの奪い合いをしながら皆泊って行った。年が明け、卒業記念のバス旅行も鎌倉に行き、僕らは3月の初めに皆無事に卒業した。2月の日商簿記1級試験は、僕らの仲間は全滅だった。ものすごくむずかしいのである。卒業式は、お馴染みの中野サンプラザ小ホール、校長先生の話、卒業証書授与という約1時間で終わった。それから僕ら悪友たちは、中野ブロードウェイのレストランでちょっと豪華な昼食を取り、一旦別れ、夕方僕のアパートに集まった。当然「おめでとう、あんたらは偉い。よう卒業した会」を盛大に行うためである。ここで書いとくが、僕ら悪友たちは、いつも僕の部屋ばかりで飲んでいたわけでない。中野駅前の居酒屋やスナック見たいなとこでも飲んだ。金指の家に飲みに行ったりもしたし、2年になって一人暮らししだした成田の川崎のアパートでも飲んだ。卒業した会は、豪華にすき焼きにした。肉は金指が買い付け、野菜と酒は僕、今夜は、シーバスリーガルがある。成田に飲ませてやる。僕ら悪友はこうして専門学校生活を終え、そしてそれぞれが4月から社会人になった。後日談だが、クリーニング屋の慶子ちゃんは、そのまま中野の会社に就職したみたいだが、なんと僕が東京を離れる30歳の時に、僕の中野の知り合いの知り合いが
結婚したのでお祝いに行くことになり、僕も少し知っていた方なのでいっしょに新居へ行った。行く途中奥さんの名前を知り合いが、けいこちゃんといっていたが、全然気にならなかったが、新居へ行くと
僕の目の前には、あの慶子ちゃんが立っていたというドラマみたいな実話である。世の中おもしろいもんである。
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