那智勝浦町昔懐かし話 第98話
第98話「僕らは、みんな夏の友で大きくなったのだ」
はい、6月に入りました。正月の番組で馬鹿笑いしていた時期からもう6ヶ月経ったんですよ。今年もあと6ヶ月ですよ。早いですね。そしてこの懐かし話もあと2話であります。昨年の夏頃ふっと「あかん、那智勝浦町の懐かしいことを書きのこさなあかん。俺がやらなあかん。今やらなあかん。あかんのや。」と何かに取り付かれたように書き始めたこの懐かし話。本当に僕の遺書みたいに、何か分からんが、言葉があふれ出てきて、1話書くのに平均30分というおそろしい早さで書いてきたのであります。本当に本人が信じられないくらいであります。パソコンで書いているんですが、本当に指が自然に動くんですよ。不思議です。まあ今回も前説長くなりましたが、それだけあなたと挨拶を交わしたい証拠です。今回は、勝浦小学校の時の話です。お勉強の話です。でわでわ第98話行ってみよう。
「吉野、まあまあ頑張ったな」ここは、勝浦小学校4年2組、1学期の終業式の日である。担任の先生から今まさにタケちゃんは、通知簿(僕ら勝浦の子供は愛を込めて、つうちんぼと呼んでいた。)を授かったのである。閉じたまま席に戻る。こんでもええのに、悪友たちが側に寄ってきて、「吉野、どうやった。俺まあまあやった」とたいしたことのない成績の悪友が言う。俺もまあまあかなと、ほとんど2のアホが自慢気にいう。そんな中の僕の成績、こいつ等とあんまかわらん。ただ体育だけ5だった。1月期は短距離だったので。僕はクラスで1番早かった。そして、通知簿を全員に渡し先生は、「一番前のもん、人数分夏の友取りに来てくれるか」と声をかけた。この夏の友、地方によっては、夏の友達とかいうらしい。歴史は古く明治の末あたりからあったらしい。1冊の中に、国語、算数、理科、社会の1学期の内容の復習が出来るような学習テキストである。僕らは小学1年から6年まで夏休みはこの「夏の友」そして冬休みは「冬の友」を宿題でやった。休み中毎日少しずつやるとちょうど休み中に全部終わるように出来ているのだが、それをやらないのが僕らである。最初の1週間に遊ばないで集中して全部やってしまう強者もいたし、また最後の1週間でやってしまうこれまた強者や、全然やらないバカ者がいた。(僕やタコちゃん、ナカシャは最初にやってしまう。その間遊びに誘わない同盟を固く結んでいたので夏休み2週間目からは、カゴから外にでた鳥のように遊びまくった。最初の1週間は遊ばなかったが僕ら3バカの誰かの家で「夏の友早期終了強化合宿」を行う場合もあった。ほとんど酒屋のナカシャんちが多かった。おやつに、サッポロポテトバーへキュー味とファンタグレープがでるのである。僕らはサッポロポテトバーベキュー味族であり、ファンタグレープのファンである。「なあ、ここの問題分かるかん」「アホか、わかるわけないやろ」と何故か偉そうにタコちゃんが言うのである。
「おい、このマーク万博のマークやったけ」とナカシャは工場のマークを指さす。ほんま天才トリオである。夏休みは、この「夏の友」と自由研究。自由研究はなんとか適当に2月期の始業式までに間に合わせる。冬の友も同じである。僕には休みの前半に集中してやって後で遊ぶ。このやり方が今も根付いている。外食したときも苦手な物をまず食べて一番好きな物は最後にゆっくり味わう。まじめにやれば、1学期の復習が出来きて、その後の2学期もスムーズにスタート出来るが、さぼったらその分自分に見返りがあり、2学期に苦しむ。今も同じような宿題はあるらしい。別の名前で。僕らの時は何と言つても「夏の友」。あまり友達にはなりたくないが。僕らの小学生の時のなつかし物である。
第98話 終わり
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