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「仲の町3バカトリオどたばだ奮闘記」 第3章 うれし悲しき那智中学校7


第3章 うれし悲しき那智中学校7
 
 
今考えてみると、僕らが那智中学校に入学した頃というのはアルバイトが許されていたのだろうか。僕とかナカシャとかタコちゃんは、夏休みにしっかりアルバイトしていた。許可されていたか、内緒でやっていたんだろう。と言うわけで那智中2年の夏休みの時の事であります。僕は1学期でクラブのサッカー部をやめ帰宅部になっていたので、何かアルバイトしたいと思っていた。「タケちゃん、夏休みアルバイトするかん」お母ちゃんが、僕に聞いた。「えっ、どこで」と僕。「家でや、市場のアルバイト夏休み中せえへんかん。お父ちゃんも喜ぶし、働いてくれやるおばさんも喜ぶで。もちろんアルバイト代あげるよ。その代わりアルバイトやから市場休みの時以外毎日やで。子供いうてあまやかさんて゛」
「うん、ええよ。やるわ」と僕。早速夏休み初日から魚市場へ行くことになった。お父ちゃんのお古の帽子、長袖の服、ジーパンにこれまたお父ちやんのお古の長靴。お古の手がき(まぐろをひっかけて持ち上げるもの)を手に朝6時に起きてしっかり朝ご飯食べて
6時50分前には着くように自転車で市場へ向かう。書き忘れたが、僕の実家は、ひいじいちゃんの時代(約100年)から4代続く老舗の生まぐろの仲買店である。
知っている方も多いと思うが、勝浦の魚市場は、土曜日と祝日の前の日が基本的に休みである。これは、東京、名古屋、大阪など都市部の市場が日曜、祝日が休みで、生まぐろの配送の関係でその前日に競りをしても都市部は休みである為だ。あと勝浦の魚市場は、朝7時に競りが始まる。都会部では、指で値段を表したりするが、勝浦はアルミで出来た短冊みたいな入札ふだに屋号と値段を白木で書いて読み上げる台に置いて、読み上げ担当の市場職員が一番高く入札した屋号を読み上げる。たとえば「一番500円ヤマサン」と言う具合だ。これは、一番の札の所のまぐろをヤマサン(ちなみに家がヤマサン)がキロ、500円で競り落としたと言うことである。僕のアルバイトの仕事は、競りをやっている側で働いてもらっているおばさんといっしょにお父ちゃんが競り落とした生まぐろを
手書きで横の邪魔にならないところまで運び、そこに木のトロ箱を運び一輪車で、氷を乗せた氷り売りのトラックまで行き屋号を告げ(氷一輪車一杯200円掛け売り)一輪車でトロ箱まで運び生まぐろを氷りづめにする。まず、このトロ箱運びが慣れないと大変である。長さ2メートルくらいの木の箱である。その時分は、今の、にぎわい広場あたりに屋号ごとに積んでいた。そこから肩に担いで持ってくる。ちょうど真ん中あたりを右肩に当て斜めにし頭からかぶるように持ち上げる。これも慣れると右肩と左肩に1つずつ持てるようになる。僕も筋がいいのか、すぐに2つ持てるようになった。でも一度だけ仲買の方にぶつけそうになった時があった。知り合いのおじさんだったので事無きを得たが、気をつけないと当時市場で働いていた人たちは喧嘩ばやい恐い人たちばかりだったので危なかった。ほんまやで。次に一輪車。これにもペンキで屋号が書いてあり、氷のいっぱい入った一輪車をあちらこちらに生まぐろや道具、トロ箱の置いている細いところをバランスを取りながら自分家のトロ箱まで運ぶ。何回ひっくり返したことか。でも何回かやるうちにこつがつかめ慣れる。ひっくり返した氷は素手で一輪車に汚れていない上のほうだけ入れて運ぶ。また、生まぐろは、ビンチョウ以外尻尾切っている。仲買いの方はその尻尾の色や、つやとかを見て買うかどうか判断する。
トロ箱には、胴体の部分と尻尾を2本分入れる。まあ生まぐろの大きさによるが。またヒレをハサミで落とす。それもバイトの仕事。ビンチョウは尻尾切っていないのでそのまま木の箱に入れる。氷詰めしたら屋号のマークの紙と送り先の紙を貼りそれで一丁あがり。次の競りをしている場所へ急ぐ。それの繰り返し。生まぐろの水揚げが少なかったらバイトは早く終わるし、水揚げが多いと遅く終わった。まあ昼前までには終わったけど。アルバイトは時給だった。まあまあのお金になった。中2の冬休みも、中3の夏休みもこの市場のアルバイトをした。僕の同級生も親が仲買いの者もいたのでアルバイトしていた。
親がやっていなかっても何かの紹介でやっている者もいた。やりやすかったバイトで勝浦ならではのアルバイトだったと思う。多分、今市場で働いている僕ぐらいの方々は中学生ぐらいの時市場でアルバイト(正当にお手伝いの方もいらっしゃるでしょう)していたと思う。思い出深き魚市場でのアルバイトである。 つづく
 
 
 

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吉村 剛
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