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「仲の町3バカトリオどたばだ奮闘記」 第2章 町立 勝浦小学校11
第2章 町立 勝浦小学校11
実は僕は、和歌山県と福岡県のハーフである。うちのおかあちゃんは、福岡県遠賀郡(おんがぐん)芦屋(あしや、兵庫の芦屋やないで。笑)から関門海峡を渡り勝浦に嫁に来たのである。だから僕の体には九州の血が半分流れていてあの博多っ子純情のごとく純情な男なのである。(九州の皆様改めましてよろしくお願いします。笑。)というわけで、家のおかあちゃんは、嫁に来て僕が生まれてから2年ごとに夏休みの約1ヶ月僕や弟たちを連れて里帰りしていたのである。つまり僕が偶数の歳である。小学校2年の夏休みも8月1日に僕と真ん中の弟を連れて勝浦から天王寺までくろしお、新大阪から新幹線に乗り小倉まで行き、乗り継いで折尾まで行き、タクシーで芦屋の実家まで行った。新幹線が走るようになってかなり早い時期に乗っていたのである。勝浦からは今と違い、ほとんど半日かかったように思う。芦屋の実家は商店をやっていて、お菓子やら野菜やらジュースやら何でも屋だった。ひいばあちゃんとおじいちゃん、おばあちゃん、おかあちゃんの弟が住んでいて、僕たちは1ヶ月、近くの海で泳いだり、おばあちゃんの野菜の仕入れに着いていったり、近くの神社で遊んだりしていた。何せお菓子食べ放題、ジュースのみ放題、アイス食べ放題の実家である。たまにおばあちゃんから「タケちゃん、食べ過ぎばい。おかあさんに怒られるとよ。ばあちゃんないしょにしとくけん。あまり食べたらあかんとよ」とおこられたりもしたが。たまにおかあちゃんの弟の車で山口県の秋芳台や黒崎のデパートに行ったりもした。おかあちゃんにはお姉さんが2人おり一番上のおねえさんは直方(のうがた)と言うところで養鶏をやっていた。下のお姉さんは遠賀川にある競艇場に通っていた。僕たちは、にわとりのおばちゃん、ボートのおばちゃんと呼んでいた。僕たちは九州に行ったときは、必ずにわとりのおばちゃん家に親戚一同で1泊2日で遊びに行く。言い忘れたが、僕たち兄弟が2年ごとに九州に行ったのは僕が中学2年までだ。おとうちゃんは、まぐろの仲買の仕事があるので、勝浦で留守番。ただし、僕や弟が小さいときは、僕たちが帰る前の日に九州に迎えに来たりもしていた。話戻り、にわとりのおばちゃん家での話だ。午前中に芦屋を車で出て直方に昼頃つき豪華な昼ご飯を食べ午後卵の荷分をいとこ等も交え子供達5人くらいで手伝う。前もって取って置いた卵を機械に乗せ大きさに振り分けられた卵を箱に詰めていく。これが楽しい。時々落としてしまうが。落とした卵は晩ご飯のおかずになる。笑。しばらく手伝って、僕たち子供はクーラーの利いた部屋で一眠り。当時親戚でクーラーの付いている家はここだけだった。初めてクーラーという物を見たのも、にわとりのおばちゃん家である。僕たちがグースカグースカ寝ている時におかあちゃんと、にわとりのおばちゃんたちは、鶏の丸焼きや焼き肉など豪華な晩ご飯の用意をする。「ごはんよー」の声が目覚まし代わりである。たらふく食べて、にわとりのおばちゃん家の大きなお風呂に入りカラーテレビでテレビを見て広い部屋で雑魚寝である。翌朝早く、にわとりのおばちゃんに起こされ近くの農家に新鮮な牛乳をもらいに行く。これを温めて飲む。これが濃厚で抜群にうまい。朝食はハムエッグと牛乳である。その後子供たちはおばちゃんたちと養鶏場に入り、手を鶏につつかれながら卵とりをし、機械にかけて荷分けをする。昼ご飯を食べて夕方車で直方から芦屋に帰る。もちろん子供たちは夢の中である。2年に1回の楽しい夏休みの過ごし方である。 つづく。
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