那智勝浦町昔懐かし話 第96話
第96話「母親のぬくもり わたいれ」
はい、皆さん、ちょっとだけご無沙汰していました。お元気ですか。暑い日が続きますね。タケちゃんは、この間伊勢で観光PRし日焼けした腕が皮がむけてきて、より一皮むけた良い男になってしまいました。あっそうそう、本業の5/26の観光協会の総会おかげさまで無事終わりました。これからも一生懸命精進いたしますので関係諸団体の皆様よろしくお願い申し上げます。これからは、夏のイベントなど今まで以上に忙しくなりそうです。この話も今回入れてあと5話の予定です。前にも書きましたが、俺とこの新聞や雑誌、会報等連載したらどうな。と言う方無料で連載いたしますので、メッセージください。100話全部連載いたします。と言うわけで前置き今回も長くなりましたが、今回は小学生から高校卒業の時の話です。でわでわ第96話いってみよう。
はい、今回の話は、主に僕の幼稚園から上京するまで及び上京してからも少しくらいの話しである。勝浦の気候は、冬でも暖かく、ほとんど雪が降らず、雪が積もるとニュースになるという位の冬の気候だが寒いときもある。僕の実家は明治時代に、作られた築100年以上の家で今の脇仲通りでも少なくなってきた作りの家である。そんな昔ながらの家で育った僕は、冬になると風呂(小学生低学年までは、まきの風呂その後ガス)に入り、パジャマの上から綿入れ(わたいれ)を着ていた。綿入れとは、僕のパソコンのアホーによると袷(あわせ) 仕立ての裏と表の間に木綿綿を入れた防寒用和装衣類。ちゃんちゃんこ、羽織、ねんねこ、どてらのこと。とあるが、僕ら勝浦の子供は綿入れと呼んでいた。「タケちゃん、風呂あがったら頭ちゃんとタオルで拭いて綿入れ着とかな風邪ひくで~」とお母ちゃんからいつも言われていた。僕ら家族の着る綿入れは、おばあちゃんとお母ちゃんの手作り。その人の背丈に合わせ手縫いで仕上げていた。また、袖無しの物も作っていた。それは字のごとく「そでなし」と僕らは呼んでいた。「分かったよ。お母ちゃん。いつも同じ事ばかり言わんでもええやん」と僕ら兄弟。お母ちゃんいわく「何回も言わんで済む頭のタケちゃんおぼっちゃまやったらいわんわ。ほんま賢い子や」とお母ちゃん。もちろんお母ちゃんの勝ちである。この綿入れ結構丈夫で、暖かく、そんでもって重くない。寝るときはそれを脱いで布団の上にかけておく。すこしだけふとんの量が増えた感じ。夜中トイレとか行くときは、すぐ羽織れる。便利な防寒具である。この綿入れ僕は小さいときから高校卒業、そして上京の時も高校の時に愛用していた綿入れを持って、あの東京中野の坂本荘にやってきたのである。当然東京の冬の方が寒く時折雪も降るので綿入れが重宝した。今は、僕は着ていないが、冬の時期に実家にいくと年老いたお父ちゃんは、日中でも綿入れを着ている。昔はたまに銭湯とかいくと綿入れを着た親子連れとかよく見かけた物だ。綿入れは、今スーパーとかにも売っているみたいだが、やはりおばあちゃんや、お母ちゃんの手作り綿入れのぬくもりには、かなわない。愛情という特殊作業が施されているからだ。都会で娘、息子を一人暮らしさせているお父さん、お母さん、
今年の冬の為に、子供達にぜひ綿入れを送ってあげてください。喜ぶと思いますよ。
綿入れ、懐かしき、暖かい思い出である。
第96話終わり
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