那智勝浦町昔懐かし話第45話

第45話『町民総踊り』
 
はい、またもや早いペースの更新であります。ここだけの話やけど結構45話も書くとネタも大変なのよん。ある時ふと人と話している時やテレビ見ている時なんかに「あっあんな事もあったんやないか」と僕の脳みそがいっぱい詰まった頭の記憶装置を動かしタイトルを考えるのであります。またタイトル決まったのはいいが内容があまり思い出せないときは、昔の資料や、パソコンのアホーで調べたりして大変なのよん。
まあ、今年中に50話突破し来年は100話達成し本にして出版しサイン会開いて芥川賞とノーベル文学賞とるという夢を昨日見ました。あっはは。えっそんなことどうでもええから早よ話に行けと、分かりました。でわでわ45話であります。(前ふり長いなぁ~。)
 
はい、皆さん突然ですが、めはり音頭って知ってますか。「南紀かつうら にほんのおへそ~。」から始まる那智勝浦町を代表する音頭である。三波春夫さんの歌で勝浦の人間で知らない者はいないぐらい有名な音頭である。各区の盆踊りや行事、また小学校では運動会でこのめはり音頭にあわせて踊る。だから大抵の大人も子供もこの音頭を踊ることが出来る。このめはり音頭、字のごとくあのめはり寿司のめはりをタイトルにした音頭である。
歌詞は勝浦の名所(紀の松島や那智の滝等)が入っている。今から約30年前の昭和61年にNHKの昼のプレゼントの公開生放送に合わせ作られ三波春夫さんの歌で録音されレコード化された。このめはり音頭発表に合わせ当時の観光産業課等が中心となりめはり音頭に合わせ町内を踊りながら廻る「町民総踊り」いわゆる「めはり祭り」が翌年の昭和62年の夏から始まった。当時は8月1日に勝浦温泉花火大会が1年ごとに勝浦湾と那智湾で交互に行われており、その花火大会の日に勝浦駅周辺で花火大会前に町民総踊りが開催されていた。町内の各区、各団体が自分たちの考えためはり音頭に合わせた踊りと衣装で参加しそれを町長や各団体長達が公平に審査し優秀団体を決める。魚市場当たりから各団体ごとに行列を組み バスターミナルから今の紀陽銀行の所をまがり駅の方へ海産物センター前をまがり駅前本通りを通り市場へ向かい終了とだいたいこんなコースだったと思う。めはり音頭のレコードに合わせて踊るのだが、時には歌の得意な町民が生で歌ったりもしていた。そして踊り切った町民はそのまま花火大会の会場へ向かうのである。この町民総踊りは2001年まで続き、2002年に7月の末に夏祭りというイベントを駅前にて行うようになりその中の一つのコーナーとして続けられた。その夏祭りも約10年前まで続いたが、様々な理由により終了し今に至る。同時に長き歴史の町民総踊りも幕を閉じたのである。しかしめはり音頭とその踊りは今でも色々な行事や運動会等で受け継がれている。また、冬の一大イベントのまぐろ祭りでも藤紀和会の皆さんが23年前の第1回目から踊り続けてくれていて、会場の皆さんともいっしょになって踊る。これからもめはり音頭は踊りと共に受け継がれることを願うものである。那智勝浦町を代表する有名な音頭として。
                 第45話終わり
 

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