那智勝浦町昔懐かし話
第65話『名誉の保健委員』
はい、2月ももうすぐ終わり今年もあと10ヶ月となりましたが、皆様お元気でしょうか。僕は35年続いております花粉症に悩まされ、くちゃみばっかりしております。ヘェックション。あっ失礼しました。中々のハイペース更新、全国1千万のタケちゃんファンも喜ぶ第65話であります。前回中学の時の事を書きましたが今回も中学の時の懐かし話です。でわでわ行ってみよう。
「はい、皆きょうは、学級役員を決めるからな。1年を9月で分けて前期と後期の2期に分けるんや。今回は前期のや。今日の日直の2人、悪いけど前へ来てこれ書いてくれるか」那智中学校へ入学し5日経った朝、担任のきんた先生は、そう言って日直のサルくんとKさんを前に呼んだ。2人は左右に分かれ、きんた先生に渡された学級役員の種類を順に書いていった。全部で10くらいある。初めに学級委員長、副学級委員長、代議員、体育委員、保健委員、書記等である。学級委員長、副学級委員長、代議員は各1名、体育委員からは男女1各ずつと書かれている。サル君達が書き終わると「ありがとう、そのままこれから決まっていく役員の名前も黒板に書いてくれるか。すまんけど」「え~と、これからこれらの役員決めていくんやけど、ひとつひとつはじめに立候補聞いて、なかったら推薦聞くようにしよか、じゃ初めに委員長から」当然誰も立候補は、ない。「はい、Kくんがええと思います。」庵ちゃんが言った。Kくんとは、サルくんで、たまたま今日日直で前に出ている。サルくんと庵ちゃんも勝浦小学校出身で2人は友達であった。結構役員を決める時ってこんなもんである。学級委員長はK君、そして副委員長も推薦があり前に出ていたKさんに決まり、代議員は健さんにきまった。健さんは、三河小学校から来た面白い奴でその後僕とも友達になる。そして色んな委員が決まり保健委員の番になった。そして何を思ったか庵ちゃんが僕の名前を推薦した。僕は保健委員になった。女子は推薦でOさん。別の小学校から来た子だった。僕の隣の席で、天然パーマで魔女っ子めぐちゃんみたいな子だった。向こうから「同じ保健委員やね。吉野くんよろしくね」にこっと挨拶してきた。勝浦っ子純情のタケちゃんは一発でやられちまった「あか~ん、かわいい」である。保健委員というのは何をするかというと皆の検尿や検便集めて担任の先生に届けたり、健康診断の準備の手伝いしたりと結構皆の嫌がることをやったりした。普通だつたら少し嫌な顔をして皆の検尿集めたりするのだが、Oさんは嫌な顔ひとつもせず一生懸命やっていた。そんな姿も「あか~ん」である。その後、実は後期も僕は保健委員に推薦され、そして何とOさんも保健委員になったのである。中学1年の時はバラ色の人生であったが、その後何も起こらず、2年生になり僕とOさんは別のクラスになった。まあ、こんなもんである。そして2年の学級委員を決めるときになり、なんと又保健委員に推薦された。「俺の顔つて保健委員の顔かなあ」と学校帰りにタコちゃんとナカシャに聞いた。クラブは違ったが、たまに帰りが同じ時間になったりした。「タケちゃんの顔は、検便を集める顔や、うん、ねえ、ナカシャ」とタコちゃん。「そうや、検便の顔や」とナカシャ。
「そうか、検便の顔か、ってなんやねん」僕らは笑いながら家路についた。
そして、またまた2年の後期も保健委員に推薦された。このことをナカシャとタコちんに話すと腹かかえて笑い転げた。2人とも「あ~、おもろいよ。タケちゃんは保健委員しかないんちゃうか。一番似おたある。もうこうなったら中学3年間全部保健委員やったらすごいやん」とナカシャとタコちゃん。「そうやなぁ~、記録つくるわ」と僕。あっそうそう、ちなみに2年生の時の女子の保健委員は、普通の子で何もありませんでした。念のため。そして3年になりクラス替え。担任は、きんた先生。そして悪友のイサオ君ともいっしょのクラスになった。タコちゃんとナカシャとは別のクラス。学級役員決めの日。なんとタケちゃんは、代議員に推薦され、代議員になってしまいました。クラス代表で生徒会の手伝いとかした。ここで3年間連続保健委員の夢(なんちゅう夢や)はたたれてしまった。でも与えられた役員一生懸命やりましたよ。そして中学3年生後期、最後の役員決めの日。またもや推薦で保健委員になったのである。惜しい、実に惜しい。(なんでやねん)中学3年生最後の役員を保健委員で飾れたことに誇りを感じます。やっぱり私には検便集めが似合うのか。でも大事な役員なんやで。今も我が那智中学校では、各役員があるらしい。今保健委員をやっている君、保健委員に誇りをもってね。
第65話 終わり
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