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「仲の町3バカトリオどたばだ奮闘記」 第2章 町立 勝浦小学校 6
第2章 町立 勝浦小学校 6
小学生初めての長―い夢のような夏休みが終わり2学期が始まった。「なあ、
タケちゃんとナカシャ、一年生になったから祭り出れるやん。出るん。」「あったりまえやん。勝浦に生まれて祭り出やなんだらおかあちゃんにおこられるでー。」僕が答えた。「俺も出るでー。」とナカシャ。「そうやげなぁ、3人で出よらー。カチカチで出よらー。」「うん。」何日かして祭りの練習が始まった。祭りの日は毎年9月15日、老人の日、僕の誕生日(僕の誕生日は関係ないが)と決まっていた。僕たちは子供神輿だった。「ワッショイ、カチカチ」「ワッショイ、カチカチ」カチカチとは子供神輿の時に叩く拍子木(竹なので木やないけど)の様な物のことだ。もちろんカチカチというのか分らんし、正式な名前があるんだろうけど僕たちはそう呼んでいた。簡単に説明すると30センチくらいの竹の棒を真っ二つに縦に割り、その1枚ずつに肩ひもが通るくらいに穴を開け肩からかけてちょうど左右の竹が腰あたりにくるように肩ひもを結んだものである。これを左右の手に持ち子供神輿を担いだ小学校の上級生の後につき「ワッショイ」の掛け声のあとにカチカチと叩くのである。勝浦(旧勝浦町)には、1区から6区まであり1区大勝浦、2区脇入(わきいり)、3区仲の町(タケちゃん坊ちゃんの生まれ育ったとこ)、4区神明・小坂(しんめい・こさか)、5区北浜、6区築地がありそれぞれの地区に子供神輿があった。この子供神輿を各地区の小学生が担ぐのだが、僕らの時は圧倒的に北浜と築地に小学生の数が多く我が仲の町と隣の脇入は、かわいそうなもんだった。いわゆる勝浦八幡神社例大祭の子供神輿である。この子供神輿の担ぎをランクで説明すると1年生から3年生までは、カチカチ担当、4年生は優秀生1人(3年まででカチカチが一番うまかったスーパーエリート)が区の名前の入った看板持ち、次に前後の神輿を下した時の台持ち2人(エリート)あとの4年生はカチカチ、5年生、6年生は神輿担ぎだった。僕ら3区は5、6年生が少ないときは4年でもスーパーエリートから順に神輿担ぎになったこともある。いわゆるカチカチは、その後の神輿担ぎの登竜門であり皆必死にやっていた。今はないと思うが、僕らは各区ともライバル意識が強く祭り前に1週間位夕方から街中を神輿を担ぐ練習のために廻るのだが他の区の神輿とすれ違った時や、他の区の子供神輿休憩所の前を通った時相手の子供神輿の前後左右に付いている角をへし折っていた。だから1度は本番前までに祭りなので修理してくれたりするのだが、2回目はさすがに修理してくれないので、本番当日4本きれいに揃っている神輿はなかったと思う。どこの区も鉢巻きで結んでいた。そんなアホなこともしていた。祭り本番当日「ワッショイ、カチカチ」「ワッショイ、カチカチ」「お前らカチカチうまいのう。これからも楽しみや」5、6年生の先輩や世話役のおいちゃんから僕たち3バカは褒められた。カチカチ役のお墨付きである。その後僕たちは子供神輿のエリートコースを驀進することとなる。 つづく。
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