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「仲の町3バカトリオどたばだ奮闘記」 第3章 うれし悲しき那智中学校6
第3章 うれし悲しき那智中学校6
「今日の体育、高山先生のランニングかなわなんだわ。」と僕。中学2年の時の学校からの帰り道である。「ああ、タケちゃんのクラスもランニングかん。俺のクラスも5時間目やったけど高山のおっさん、ランニングはすべての基本やって。ただ走らせるだけやで。トラックぐるぐる。おかげで汗だくや。足がくがくやし」とナカシャ。中学2年生になり 僕ら仲の町3バカトリオは3人ともクラスが違っていた。タコちゃんとナカシャは1年から卓球部に入っていて、僕は1年の3学期から何故かサッカー部に入っていた。クラスとクラブも違っていたが、いつもいっしょに約1キロ歩いて登下校していた。「なあ、帰ったら久しぶりに、にしの湯いかへん」ナカシャが言った。3人とも家には風呂があったので、銭湯には、たまにしか行かないが、なんかの機会に親や友達どおしで、にしの湯にいっていたのである。その頃町内には何軒か銭湯があり今も続いている所もある。にしの湯は、僕ら(タコちゃんは小4の時に仲の町の隣の神明に引っ越しした)の仲の町の中にあった。バスターミナルから仲の町に入る道を少し入ると右側(今の桂城の向かい)に2階建ての白い壁のビルがあり1階はスナックや飲食店が何軒か入っており2階にあがる階段を上ると銭湯にしの湯があった。「ええねえ、いこいこ」僕らは学校から帰ってタオル等を手に田中フードセンター前で待ち合わせ、にしの湯に向かった。「いらっしゃい、こんばんわ」番台のおばちゃんが、元気良く客を迎える。「タケちゃんら久しぶりやね。元気かん」おばちゃんは、お金を受け取りながらそう言った。仲の町の子供なので皆顔見知りである。「うん、元気やで~」と僕。「今、中学なんやね。早いのう、さとし君もかずちゃんも元気みたいやね。もう毛はえたか。おばちゃんみたろか~。がっはははは。」とおばちゃん。さとしはナカシャ、かずちゃんはタコちゃんのことである。勝浦の昔からのおばちゃんは、みんな明るいスケベである。「当たり前やん。もう大人やぞ。今度みせたるわ。がっははは」と僕らは、答えて脱衣場に向かった。これぐらい言い返えせんと仲の町では生きていけんのである。(なんのこつちゃ)僕らは、一応前をタオルで隠し湯船へ向かった。もちろんタオルは湯船につけたらあかん。初めに洗い場でかけ湯をしタオルを頭にのせ湯船に浸かった。「あ~~~。気持ちええのう」3人そろっての合唱である。
なんで皆喉から絞り出すように「あ~~~、気持ちええのう」というのであろうか。まあ、気持ちええからやけど。女性の方も湯船浸かる時いうのだろうか。ぜひ教えてください。しはらく僕らは湯船に浸かり、そして体をごしごし洗いエメロンシャンプーで頭(3人とも坊主頭なのでせっけんでええんだが)を念入りに洗い、またしばらく湯船に浸かりそれから脱衣場にむかった。タオルで、全身を良く拭き、3人ともトランクス(なぜか男は中学生になるとブリーフ派とトランクス派に分かれるのであります。僕ら3人は風通しが良いトランクス派です)姿で「おばちゃん、牛乳もらうで」とお金を番台のおばちゃんに渡しショーケースの扉を開けて牛乳を手に取り、上のビニールとふたを取り、左手を腰にあて両足は肩幅に開きタオルは肩にかけ、右手で牛乳瓶をしっかり持ち、一気に、ごくりごくりと飲み干した。瓶のラベルにはもちろん「天満牧場」である。(他の牧場主の方すいません。)僕ら仲の町の子供は皆天満牧場の牛乳なのである。当時の仲の町の子供の体の一部は天満牧場の牛乳でできているのである。(ほんまかいな)。余談だが僕が初めて牛という生き物を見たのは、勝浦幼稚園で遠足で行った天満牧場である。そうこうして、たっぷり銭湯「にしの湯」を堪能した僕らは、ぞれぞれ家に帰った。にしの湯は、その後時代の流れで無くなってしまったが、勝浦には大勝浦に「はまゆ」という素晴らしい銭湯が今もある。
ホテルのお風呂も、もちろん良いが、勝浦に来たときに銭湯に入るのもまた、おつなもんである。仲の町にあった、にしの湯の話でした。アイラブにしの湯である。 つづく。
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