那智勝浦町昔懐かし話 第91話


   第91話『僕らは、キックボールが大好きやったんやで~』
 
はい、いよいよこのシリーズもクライマックスに入ってまいりました。目標の100話
まで、あと10話となりました。全国のタケちゃんファンは、もう会えなくなると涙を流しているかも知れませんが、大丈夫です。新那智勝浦町昔懐かし話があとに100話つづきません。(続きますと思ったでしょう、結構ネタ大変なのよん。)そうです、今度はタケちゃんの青春時代のどたばた東京物語を書くかもしれません。皆様のリクエストがございましたらの事ですが。とマタマタマタマタ前説が長くなりましたが、今回は小学校の時の話ですよ。そこのお父さん、お母さん、懐かしくて涙流しますよ。でわでわ91話行ってみよう。
 
「キ~ック、キ~ック、キックの鬼だ~」毎週月曜日の夜7時僕は、お父ちゃんと、おじいちゃんと、弟達とテレビの前に集まる。そう、当時の人気30分番組キックボクシングを見るためだ。ごひいきは、当時の人気キックボクサー、真空飛びひざげりの沢村ただしである。そこのお父ちゃん、「そうそう、おった、おった」って奧さんの頭たたきながら言いやったら後で奧さんから真空飛びひざげりくらうで~。でもすいません、今回はキックボクシングの話ちゃうねん。お父ちゃんごめんな。時は、タケちゃんが名門那智勝浦町立勝浦小学校の3年生の時である。1,2年と同じクラスメイトで進んできた僕らは、生まれて初めてクラス替えというものを経験し担任の先生も替わった。僕らはM先生だった。でも1、2年で同じクラスやったタコちゃんと別れ又ナカシャとも又別のクラスやった。でも僕ら仲の町3バカトリオの友達の固い固い絆は、そんなこと関係ない。昼休みも休みの日もいつもいっしょである。これは、なんやろ運命ゆうもんやろか。タコちゃんもナカシャも今も親友である。約50年友達やで~。その頃僕らの中で流行っていたのは、キックボールである。誰からともなく始め、あっという間に皆ルールを覚え昼休みや、土曜日や日曜日運動場とかでやっていた。キックボールというのは、簡単に言うと野球のボールがドッチボールになったものである。キックベース、キックベースボールとかとも言うらしい。ルールも地方により色々だが、僕らは8人2組でやっていた。野球と同じでホーム、1塁、2塁。3塁にベースを置き、ホームベースの所にドッチボールを置いて少し後ろから走ってきて置いているボールを勢いよく蹴り上げる。あとは野球と同じ守っている者がそのボールをノーパン(ノーバウンドの事ね。)で受けたらキッカーはアウト。キッカーは野球と同じく蹴り上げたと同時に1塁から2塁、3塁、そしてホームと廻る。また蹴ったボールが3回ファールボール及び3回空振りしたらキッカーはアウト。ピッチャーはいない。キャッチャーはいる。3人アウトになれば攻守交代。7回制。守り手がランナーにボールをぶつけてもランナーはアウトというルールもあったと思う。8人の2組と書いたが、5人の2組や、11人の2組とかいろいろやり方もあったみたいだ。野球みたいにピッチャーがボールを転がしキッカーがそれを蹴り返すやり方もある。「なあ、昼からキックボールやらへんか。」土曜日の授業終わり頃にクラスの男子の誰かしら言うと午後皆運動場に集まってくる。集合時間は、大体午後1時過ぎ。吉本新喜劇のテレビ終わってから皆愛車(自転車)で勝浦小学校の運動場に集まってくる。いつもチーム名は適当。グレートデラックスキングス(やたらキングとかグレートとか僕らは好きだった。つまりアホやねん)対サル君ズ(サル君が一番先に来たため。この名前付けもアホやね)。僕とナカシャとタコちゃんは、グレートデラックスキングスのメンバーになった。野球や無いけど守る時は「わっきょーい、わっきょーい」エラーしても「どんまい、どんまい」と真っ先にエラーした本人が言う。とにかくうるさい。嫌いなキッカーの時はタコちゃんは後ろ向いてお尻ペンペンして挑発したり。わざと変な顔してそのキッカーがまともに蹴れないよう笑らかす。とにかくなんでもありである。これらが、アホみたいだがオモロイ。とにかく僕らはまじめにやっているのだが、端からみればおもろいのである。このキックボール公式なルールもあり、また協会もあるみたいだ。発祥は千葉県の市川市らしい。今は全然勝浦では子供達がやっているのを見ないが他の地方はどうなんだろう。
僕ら勝浦の子供達がのめり込んだ遊びの話である。
 
             第91話終わり
 
 

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

よろしければ、応援ありがとうございます。いただいたチップは、活動費として使わせて頂きます。