那智勝浦町昔懐かし話 第99話


  第99話「僕らは、みんなアッパーなのだ」
 
はい、皆様しばらくのご無沙汰でした。いや~facebookパソコンでやっているんで すが、あと2話と言うところで、書かすまい、終わらさないという天の計らいかパソコンがぶっ壊れまして自分で直そうと思い色々やってましたが度坪に、はまりお手上げになってしまいました。なんとか他のパソコンを借り今これを書いているというわけであります。全国のタケちゃんファンの皆様ごめんね。大丈夫です。あと2話頑張りますよ。パソコンは、あかんやつになりましたが、タケちゃんは、あかんやつではありませんぞ。今回も前置き長くなりましたが、これこそタケちゃんのええとこであります。でわでわ第99話いってみよう。
 
 
 はい、今回の話は僕らが名門那智勝浦町立勝浦小学校に通っていたときのストーリーでございます。私立勝浦幼稚園を無事卒園した仲の町3馬鹿トリオのタケちゃん、ナカシャ、タコちゃんは、生涯の友達を増やしながら勝浦小学校に入学。ぴっかぴっかの一年生も担任のF川先生に怒られながらも2年生になり僕らの前に、あの仮面ライダーが現れたのであります。日本全国仮面ライダー。そしてこれまた僕らの前にライダー号という、かっこええ5段変速ギアの付いたブラックが基調の自転車が町内にあるI駒自転車店の店頭にならんだのである。まずナカシャが手に入れ、タコちゃんが手に入れ、お母ちゃん、お父ちゃんに「勝浦でもってないの、僕だけやで~、頼むわ、こうて~」と嘘も方便でタケちゃんも手にいれたのである。それからは、どこへ行くのもライダー号。たまにギアがはずれて手真っ黒にして帰ってお父ちゃんに怒られたりもした。そのライダー号も僕らの成長に伴いサドルを上に上げて乗った。そして小学校5年になり変な自転車の乗り方が、どこからともなく流行りだしたのである。そう僕らと同年代以上の方はご存じだろう。自転車のハンドルは普通左から緩やかな山型にさがっているのだが、それを反対につけて緩やかなUの字になるように付け替えるのである。いわゆるアッパー型初期ハンドルである。
このアッパー、ジャイアント馬場やないけど、右も左も僕ら男の子は、ハンドルを付け替えたのである。なんか知らんがそれが、格好良かったのである。ナカシャも、タコちゃんも、タケちゃんも、賢ちゃんも、くにやんも、サルくんも、アンちゃんも、としや君も、馬場も、とっちゃんも皆アッパーハンドルにしていた。まだアッパーハンドル初期型だったので学校から禁止令は出ていなかったのだが、6年生になる頃には、僕らはライダー号からちょっと大人用の自転車に乗り換えており、それになんと片方60センチ以上もある、これはU字ではなくV字型のアッパーハンドル別売り悪ガキ型を取り付けて町中をぶいぶいいわせるようになっていったのである。いわゆるイージーライダー自転車版である。
バイクとかでは、チョッパーハンドルというのだろうか。でも僕らは、アッパーハンドルと呼んでいた。このハンドルが流行っていると、やはり先生方や教育委員会のおっさんたちは、「不良の始まりざます。あんな野蛮なハンドル禁止にするざます。いいですね、校長先生。我が勝浦小学校約100年の歴史に泥を塗るようなことは断じて禁止せねばなりませんぞ。校長」とか言うたかどうか分からんが、禁止になった。でも僕らはそんなん構わずアッパーハンドル自転車を乗り続けた。市販の自転車もどちらかというとややアッパーハンドルの物が多かったようにも思う。さすがに初めからV字はなかったが。これは勝浦の子どもたちのちょっとしたおしゃれ。都会へのあこがれだったのであろう。中にはライダー号にアッパーハンドル付けていたやつもいた。それはそれで格好良かったけど。アッパーハンドル、時代と僕らの成長につれ見なくなった。僕ら小学校高学年の世間へのちょっとしたおしゃれと抵抗だったのだろう。懐かしい思い出である。
 
        第99話終わり
 

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?