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良心的な値段

最近はコスパというかな。
良品廉価なものを評するのに、ぼくと世代が近い人は「良心的な値段」ということが多い。最近何回かSNSでみかけたので、たぶんよく使われる慣用句です。

この「良心的」という言葉に、ぼくは常々大きな違和感を感じるんです。
だって、良心ってなに?

意味合い的には、価格が安いこと、その費用に対して得られる価値やメリットの度合いが高いことを指しています。

コスパ、リーズナブル、お買い得、掘り出し物、高品質低価格、お値打ち、お手頃価格、値頃感、手軽、お求めやすい価格などが挙げられる。

逆に、見合いが悪い場合は、
安かろう悪かろう、安物買いの銭失い、二束三文、ぼったくり、悪徳ビジネス、法外な値段、暴利などの言葉が使われます。罵詈雑言のオンパレード。
確かに良心とは真逆な感じ。

なんとなく似た感じだけども、低賃金長時間労働や、同一労働同一賃金は無関係。

なぜ「良心的な値段」という言葉が気になるのかというと、その背景には、利益を出したり儲けたりすること自体を「悪」とみなす価値観が見透かせるからです。

営業利益率が高い会社は良い会社だと言われることもあるけど、なんででしょうね。

多くの国民が衣食住に困るような戦後の貧しい時代なら、利益を多く乗せないことが賛美されることは理解できます。高度経済成長期に、薄利多売というのも時代のニーズにあってた。

その後にはゲームチェンジして、付加価値を利益にしてそれを還元する循環をつくるチャンスはあったと思うのだけど、バブルがはじけたこともあって、「儲けること=悪」という価値観が根強く薄利だけが残ってしまったんだと思います。

日本もいまや貧しい国になったと言われてるけど、もう薄利多売ではいられない。そんな世の中で良心的という言葉を重ねると、正しく儲けることができない社会になっちゃわないですか。

ぼくなりの定義では、正しく儲けるというのは、持続的に生活したり、経営できる状況のこと。弱者から貪ることのない経済的な循環を実現すること。

世の中に貢献して、そのことに集中できるくらいに収益があがることが理想なんじゃないかな。

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