悪知恵は悪くない
頭に「悪」とついている。それだけでネガティブな単語に見える。
名は体を表すという言葉があるように、「悪」という文字がついている単語には、ダークで不正・醜・劣・不適などのイメージがつきまといますね。
悪女、悪代官、悪魔、悪玉菌、悪意、悪質、悪平等、悪逆無道、改悪、必要悪とか。
悪運なんかには、ややポジティブな印象があります。「悪運が強い」という言い回しは中立的な感じですね。知らんけど。笑
調査してみると変わったところでは、
悪戯(いたずら)、「悪阻」(つわり)というのもありました。
さて、「悪知恵」については、どうでしょう。
狡猾(こうかつ)なイメージを持ちませんか。
だいたい否定的な文脈で使用されるのではないでしょうか。
「子どものくせに悪知恵が働くな」
「かわいい顔して、言うてることは悪知恵ばかりやな」
セリフからは嫌悪の表情が浮かんでいる様子が想像されます。明らかに褒め言葉には聞こえません。笑
でも、ぼくはこの悪知恵というやつが、とても大切なモノじゃないかと思うんです。
子どもの悪知恵にいっぱい食らわされた経験は、誰しもあるでしょう。
カルキン坊やの目が輝き不敵な表情を浮かべたとき、それは最高の悪知恵が生まれたシグナル。
大人はその後、目にすることに驚愕する決まりになってます。
大人の想像を超え、まさか!と思うようなことをやってのける。
創造的なアイデアと卓越した行動力。
それって、まさにいまの社会に求められてるイノベーションですよね。
それなのに、大人たちはこぞってその芽を摘んでしまう。
知識と知恵。
知識は学校で教えてくれるけど、知恵はなかなか授けてくれません。
知恵の源泉だったおばあちゃんもいまは近所にいないので、Yah○o!に頼らざるを得ない。
で、ぼくは思うんです。
最もよい訓練は悪知恵を働かすことではないかと。
悪いことは刺激的。
そしてなんとか出し抜いてやろうと、相手の先の先を読む。
楽しみながら知恵をどんどん出していくゲームに他なりません。
子どもの頃から繰り返しやってたら、自然とクリエイティビティが高まると思うんだけどなぁ。
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