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不確実性のもたらすもの

サッカーワールドカップ観戦中に感じた疑問。
不確実性があることは幸福なのか不幸なのか。

きっかけは、アディショナルタイム(旧名:ロスタイム)の仕組みに疑問を感じたからです。
1点リードのまま、早く試合時間終了してくれーっと願いながら。
おそらく1億2千万の人々がそう願ってた。(シライシ妄想調べ)笑

バスケットボールなら、時計が0に近づいていって、試合が中断すれば時計も止まるし、残秒0になれば試合が終わる。審判もプレイヤーもベンチも、観客まで含めて、みんな終わりの時間が共有されている。

野球なら、9回で試合が終わる。
ラグビーは80分で試合終了。

ほかにも競技ごとにいろんなルールがあると思うんですけども、サッカーは、主審だけが終了時間を知っているのです。主審が時間を決めてるといっていい。

なので、観客もベンチもプレイヤーも、副審ですら、いつ終わるのかわからない。こんな不確実な試合時間ってどうなの?って、疑問が生まれました。

そこからスポーツなどに限らず、不確実ってどうなんだろう。良いものなのか、悪いものなのか、と思い巡らせたんです。

たぶん、ほとんどの人は安定を求めてます。
大企業に就職した方が良いとか、そういった類のやつで語られてるように。死についてもそう。いつ死ぬかわからないことが不安を感じさせる。

なので、たぶん不確実なことは嫌われ、ネガティブなものだと捉えられることが多い。金融の世界で不確実性はリスクというしね。

でも…
生まれた時に余命29,200日(80歳)って決まってたら。
1年分のランチメニューが決まってたら。
一生のうちに知り合う人があらかじめリスト化されてたら。
試合を見る前に結果がわかってたら。(間違いなく観ない。笑)

たぶん、味気のないものとなってしまう。
ワクワクという感情は辞書から消え、死語になるかもしれない。

不確実だから人生は楽しいと思える機会が生まれる。
不確実だから楽しいとは断言しません。思いがけない不幸が大きな心の傷になることもありますしね。

だから超楽観的にしなくてもいいんですけど、
不確実のポジティブランキングをもう少しあげてやってほしいなと思いました。

もちろん、日本のFIFAランキングも上がってほしい。

追伸

アディショナルタイムについては、いまのままが良いというのが、現時点のぼくの結論です。
いつ終わるのか、ハラハラするのもまたよき。笑

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