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「花とアリス」を観て思い出す、ヘクとパスカルの音楽

GWの期間中に、とある動画サイトで「花とアリス」が公開されていた。
懐かしいな、と思いながら、雨の降る夜にぼーっと眺めるように、ゆっくりと観ていた。

確か10何年前…

人生という名の迷路に入り込んで、完全に迷子になっていた頃、少しでも何かを求めて本を漁ったり、映像作品を一週間に一回は見る、というよくわからないことを決めて観ていたころに知った作品の一つだった。

その当時と同じモニターで、同じスピーカーで、変わった机とパソコンと部屋に溢れてきた本とか棚のなかで、時折合間に広告が流れるその時間はノスタルジックとも違う、なんとも言えない感情だった。

どこか懐かしい友だちに出会った時のような、それでいてお互いの変化にどこか悲しさと喜びを感じるような…

GWという、どこか春から夏に向かうようなそんなタイミングも相まったのかもしれない。

そんなことを思いながら、

そういえばここ数年、毎年春先、特に2,3月頃になると決まって聴きたくなる音楽があることをふと思い出して、つらつらと書き始めている。

春になると、なぜか不思議とその音を聴きたくなる時があって、それがたまたま3月だとか、その中にたまたま復興のシンボル的な曲が含まれていたりするのだけれど。

そこに深い意味はなくて、
風がそっと頬を撫でるように、時に強く髪をかきあげるように、ただ粛々とその音を聴きたくなる時期が3月辺りのこと。

心の奥底をくすぐるような、ムズムズとさせるどこか懐かしいような音のようで、でもなぜかこう普段とは違う景色が見えてくる音たちで。

その音を聞くと、いつだったかは忘れてしまったけれど、夕方の帰り道に車のラジオから聞こえてきた音たちのことを思い出すことがある。

プシューとブクブク泡が出てくる音が時々聞こえながら、電波を通して和気藹々と楽しそうな生の音が聞こえてきたこと。
…と思って調べたら、日付が出てきたのでネットは便利だなと改めて。

ログを遡ってみると、このラジオより少し前にヘクとパスカルの音に出会っていた。

なぜだかは、わからないけれど…

春先の3月辺りになるとふと思い出したように、あぁそういえばもうこんな季節か、と思いながらそっと聴きたくなる時期が訪れる。

あるシーズンになると、テレビや街から決まったようにたくさん流れてくる音はある。
いろんな音たちが意図的に、あるいは無意識的に流れてきて、それが街や景色の風景に重なって、移り変わる季節をより深く感じることはしばしばある。

でも、なんていうか、言葉でこの感情を表すのは難しいけれど、
それとは少し違うような気がしていて…。

一度聴いた音が身体に消化されて、サイクルというかその時期になると、身体の奥から沸々と湧き上がって聞こえて来るというか。
言ってしまえば、内から聞こえるものと外から聞こえるものなのかもしれないけれど、それはそれでまた違うような気がしていて、なんて言えばよいのだー。と思う。

たぶん、この現象に名前をつけることはできないし、共感してもらえる人は少ないかもしれない…

そういえば、、

毎週深夜に楽しみに観ていた「謎の転校生」の劇中歌を担当していたらしい、というのは後になって知ったことだけれど。

ヘクとパスカルの音楽を聴くと、大切にしている秘密の宝箱を開けたような感覚になるのはなんでだろう、と聴くたびに思う。

凜とした静けさの空気の中にあって、粛々と時が進むような冬を終え、
ゆっくりと確かに陽の暖かさを感じながら、春の息吹が聞こえるように草花が土の中から出てきて、たくさんの鳥たちの話し声が聞こえるようになって木々に葉が芽吹き、たくさんの花を咲かせる頃。

そんな頃に聴く音楽は、見えている、感じている景色を、自然の美しさを、生命の輝きを、ゆっくりと深く噛み締めるように感じさせてくれる。

そしてまた花びらが落ち、暑さと人の熱量を感じる連休を通り過ぎて、
体にまとわりつくような湿気とどこか寂しい気持ちになる雨を繰り返し、
茹だるような暑さと雨の匂いと夜の空に打ち上がる光の球を見て、
心地よい肌寒さと山々が綺麗に色づいていく季節に向かっていく。

いろんなものが巡り廻って、
ゆっくり確かに、時にはやく、あっという間に時間は経っていく。
変わらないものと、変わっていくものを抱えながら、それでも、歩いていく。

正直な気持ちをいえば、、

もう少し、できればもっとたくさんの、あの編成で生まれてくる、数多くの音楽を聴いてみたかった、という気持ちはある。
もし…という世界線は現実には起こらないことを知ってはいるけれど、もしかしたら…という世界線を想像してしまうことは、ある。

毎年訪れるこの音楽を聴きたくなる頃に、この音楽を聴いて寂しい気持ちになるのは、少し、ほんの僅かでもそういう気持ちが自分の中にまだ残っているのかもしれないとも思う。

でも、それでも、世界は少しずつ変わっていくし、この音楽を聴いて見える世界も少しずつ変わっていく。

少しずつ、一歩ずつ足音は変わっていく。
それが歳を重ねるということなのかもしれないけれど。

あの頃はよかった、という思いはなくはないけれど、
でも、それに縋って新しく訪れる世界に目を背けたくはない、と思う。

この音楽たちを聴きながら、毎年のように訪れるふっと聴きたくなるタイミングで音を感じ、重ねた歳月を感じ、少しずつ歩みを止めずに成長していきたいとも思う。

また一年後、どんな景色が待っているのかを楽しみに、時々フライング気味に聴いたりして、あの頃と今、の間がどんな変化をしていて、どんな感じ方をするのかを見つめていたい。

そっと開けて、ようこそ今年も。
そっと閉じて、また一年後。

そんな音楽との付き合い方も良いな、と思う。



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